おいしいものを食べたとき,それをどのように表現しますか。
おいしい,うまい,……
そのほかは?
ためしに授業で学生に次のように尋ねてみました。「最近誰かと一緒に食べたもので,何が一番おいしかったですか?そのとき,どのようなことばを交わしたかをふたりの対話のかたちで答えてください。」具体的なシチュエーションで言いそうなせりふを再現してもらうと考えました。以下はその回答例です。
(38) A: これ食べてみて!まじ、うまい。 B: うんうん、ありがとう。 (39) A: あー、おいしいわ。隣で誰か死んでもわからへんわ。 B: ほんと。おいしいですよね。冬はこれが一番ですね。
(39)のAは,ちょっとお茶目なおばあさまのせりふです。嫁が作った鍋料理があまりにもおいしいので食べることに集中してしまい,たとえ隣で人が死ぬようなことがあっても気がつかない,それくらいおいしい,というわけです(恐ろしいほどのおいしさですね)。
集まった回答は,やはり「おいしい」と「うまい」を用いたものがほとんどでした。さらに女性の場合,ほとんどが「おいしい」に偏ります。(39A)のようにかなりのレトリックを利かせる話者ですら,「おいしい」ということばを使わざるをえないのです。
『美味の構造:なぜ「おいしい」のか』(講談社)の著者,山本隆は次のように言います。
私は、おいしいものはおいしいのであって、おいしいとしか表現できないのではないかと悟っている。
「表現できないのではないか」と疑問形で悟るところが,実に奥ゆかしいですね。それはさておき,食卓においておいしさを実感しつつそれを具体的に表現するのは,やはりとてもむずかしい。現在進行形の心地よい味覚体験を「おいしい」や「うまい」に頼らずにことばにしようとすれば、いきおい表現に窮するほかありません。
では,おいしさは自由に表現できないのでしょうか。その表現努力は実らぬものなのでしょうか。
もちろん,そうではありません。『ことばは味を超える:美味しい表現の探求』(海鳴社)の編著者,瀬戸賢一はこう言います。
味ことばは豊かである。味そのものより豊かである。
料理エッセイや商品広告にはじまり,グルメ漫画や小説の描写に至るまで,おいしさを伝える表現はそこここにあります。いや,おいしいことばはその道のプロだけのものでもありません。ネット上のブログや料理店紹介サイトの口コミをちょいと覗けば,ラーメンの味を語らせたらスープよりも熱い人とか,コーヒーの香りについてはエスプレッソよりも表現内容の濃い方だとか,たくさんいらっしゃる。
さまざまな人が「おいしい」だけに頼らずに,それぞれのやり方でおいしさを伝えている。たしかに,おいしさの表現は豊かに広がります。
たとえば次の例は,「トカラ海峡」という焼酎を紹介したものです。
(40) 軽快で滑らかな味わいの中にしっかりとした飲み応え。その後から甘酸っぱい香りが波のようにゆらゆらと口に広がる。 (金関亜紀『「日本全国うまい焼酎」虎の巻』)
波の比喩が焼酎の名とよくなじみます。「おいしい」「うまい」とは言っていませんが,この酒のおいしさはじゅうぶん伝わります。
不思議に思いませんか。
「おいしいものはおいしいとしか言いようがない」という諦念が一般には受け入れられているにもかかわらず,おいしさの表現はその一方で豊かに展開しているのです。では,美味の表現にまつわる障壁を私たちはどのように乗り越えているのでしょうか。そもそも,食卓ではなぜ,おいしいとしか言いようがないのでしょうか。
これが味覚の表現について最初に取り組むなぞです。
次回以降は,このなぞについて食卓のことばから考察をはじめます。最初のなぞが解けたら,その次はフィクションのことばにまつわるなぞへと皿数を増やすつもりです。グルメ漫画のせりふや小説の内面描写がその食材となります。
順にお召し上がりください。