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第30回 食卓から離れてことばは変わる

筆者:
2012年6月21日

食卓ではことばにしづらいはずのおいしさが,エッセイやブログで豊かに言語化されるのはなぜか。これが前回出てきた疑問です。その理由について考える前に,エッセイのおいしい表現をもう一例確認しておきましょう。沖縄のイラブー汁についての記述です。

(42) 口に入れてしばらく味わっていると、その奥深い濃い味の中にトロッとするようなコク味がある。そして、誠に上品な甘味が濃い。[中略]
 ひとつひとつのきめの細かい上品な味が淡味となって集合し、それが幾つも集まって濃味を築いているものだから、濃いうま味なのだがむしろ淡く感じて切れ味がよい。

(小泉武夫『食あれば楽あり』)

イラブー汁というのは,ウミヘビの薫製から作るスープのことです。しっかりとコクを感じさせつつも,淡く軽やかに切れる後味の妙を,味の構造性を仮定する独特の比喩で語っています。食卓で味わいながらこのように分析するのはほぼ不可能です。エッセイだから可能になった芸当と言えるでしょう。

では,食卓の状況(コンテクスト)とエッセイを書くときの状況とでは,何がどのように異なるのでしょうか。両者のことばに関わる違いは以下のように要約できます。

(43)   食卓のコンテクスト
  a. 味覚をリアルタイムに経験する
  b. 聞き手が目の前にいる
  c. 口頭で伝える(話しことばを使用する)
(44)   エッセイのコンテクスト
  a. 過去の味覚経験を想起する(食べ物は今ここにはない)
  b. 聞き手(読者)は今ここにはいない
  c. 書記言語で伝える(書きことばを使用する)

さて,(43)と(44)にまとめたコンテクストの違いは,どのような影響をおいしさの表現にもたらすのでしょうか。

まず,食卓の会話は味覚体験のただなかで行われるため((43a)),前回に確認したとおり,おいしさを表現しようとしても,からだの制約から自由になれません。味覚の情報の多くは大脳の古い部分に伝えられてしまいます。いきおい私たちは表現に貧することになります。

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これとは対照的に,エッセイでは過去の味覚体験を記憶やほかの知識に依拠しながらことばにします((44a))。したがって,からだの制約にさほどとらわれることなく,「大脳皮質連合野や言語中枢を駆使して」(山本隆『「おいしい」となぜ食べすぎるのか』PHP新書, p. 232)味覚体験を分析的に表現できるわけです。

次に食卓の会話では,目前の料理の味わいについてことさら細かに語り合う必要はありません。話し手と聞き手は同じものを食べています。だから,「おいしい」ということばを交わしさえすれば,今,自分が感じている身体的な反応の詳細を聞き手もまた同じく経験していることが伝わる。つまり,食卓の話者は「おいしい」と確認し合うだけで,非常に効率的な伝達ができるのです。味覚の内訳をわざわざ言語化する必要はありません。「おいしい」と言う話し手は,聞き手が目の前にいる((43b))という状況を存分に利用しているのです。

これに対し,エッセイ・ブログなどの場合,聞き手(読者)は同一の味覚経験を共有しません((44b))。そのため,味の実際を読者に伝える必要が生まれます。読者はその料理がどうおいしいのか,まずいのか,知るすべがありません。結果として,書き手は料理番組のレポーターと同じ立場に身を置くことになります。単に「おいしい」ではなく,どうおいしいのかを説明する必要がここに生まれます。

最後に,口頭でおいしさを伝える((43c))食卓の話者には,表現を練る余裕がありません。表現に窮するのも当然と言えるでしょう。他方,書きことばを用いる((44c))エッセイの作者は,気に入った表現が浮かぶまで存分に推敲できます。当然,表現はより精緻なものになる。

このように,食卓とエッセイという発話の場の違いが,おいしさの表現の豊かさに大きな影響を与えています。コンテクストが変わればことばも変化します。このような理由でエッセイやブログでは食卓よりも味覚表現が豊かになるのです。

筆者プロフィール

山口 治彦 ( やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。

専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。

著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998),『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版)

 

『語りのレトリック』(海鳴社)

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