前回は敵対的エイリアン(地球外生命体)の特徴と物語の関係について考えました。では,友好的なエイリアンはハリウッド映画においてどのように描かれるでしょうか。
友好的エイリアン(異星人)で有名なのは,『ET』のET,『スター・ウォーズ』シリーズのヨーダやチューバッカ,『スター・トレック』シリーズのスポック(もっとも,バルカン星人と地球人のハーフですが)といったところでしょうか。彼らは皆,アイコンタクトができて,コミュニケーションがとれて,人類に脅威を与える存在ではありません。
友好的エイリアンはさらにふたつのタイプに分かれます。複数種の異星人がたくさん物語に出てくる場合と,1種類のエイリアンが地球人と対比されて登場する場合です。
前者は,それぞれの種に見合った特徴を提示するだけで,物語の展開に大きくかかわることはまずありません。SF版の外国人といってよいでしょう。外国人がその独特のお国柄をしばしば訛りを交えて提示するのと同様,たいてい個性的な話し方(ヨーダはこの点で有名です)で物語に変化とアクセントをもたらします。
後者は,たとえばETのように,完全な他者として地球人と対比されて登場します。絶対的な他者であるだけに,敵対的エイリアンと同様,対立と分離の構造を物語に持ち込みます。そして,地球人の協力者とともにその対立と分離の垣根を乗り越えることが,しばしば物語のテーマ(協調と友愛)となります。
では,『アバター』に登場するナヴィはどのタイプに属するでしょうか。
ナヴィは,約3メートルの強靭でしなやかな身体に青い縞模様の肌で,長い尻尾まであります。耳が上に突き出た顔はネコ科の動物を思わせ,鼻筋はライオンのように太い。
ですが,モーションキャプチャーという装置を使って役者の表情がコンピュータ合成される顔つきは,じゅうぶんに人間的です。もちろん,アイコンタクトも問題ありません。第一,主人公とナヴィの族長の娘ネイティリは愛し合って結ばれるという設定ですから,第一印象として青い肌がキモいという違和感を引き起こしても,目が慣れると観客にも魅力的に映るようでないと,主人公と感情を共有できないのです。
しかも,彼らのうち何人かは,オーガスティン博士の手ほどきで英語が話せますし,博士をはじめとする(善玉の)人間もナヴィのことばを話します。互いのコミュニケーションは可能です。
つまり,ハリウッド映画の伝統に照らし合わせると,ナヴィは(自らの自由と尊厳のために地球人と戦いますが)友好的エイリアン(異星人)と特徴づけられるのです。しかも,ETのような絶対的な他者としての友好的エイリアンです。完全な他者であるがゆえに対立と分離の構図を物語に導入しますが,それは物語の結末に向けて乗り越えられるために存在します。
このように,『アバター』はハリウッド映画の特徴を踏襲します。しかしそれだけではなく,独自の特殊な事情も見られます。それは次のような設定から生まれます。
地下資源の豊富な衛星パンドラでは,動植物が独特の生態系を形作っています。大気は地球とは大きく異なり,人類は酸素マスクなしでは生きられません。資源発掘のための交渉を行いたい先住民ナヴィは巨大です。そこで,ナヴィと人間の遺伝子を掛け合わせてナヴィと等身大の人工身体(アバター)を合成し,アバターと自分の神経組織を同調させて遺伝子提供者がアバターを操縦する,という実験が行われています。
『アバター』では,人間と異星人ナヴィを対比させるだけでなく,人類のDNAが組み合わされたアバターとナヴィとのあいだにも微妙な差異をもうけます。
実際,アバターはナヴィよりも人間的特徴を残します。たとえば,シガニー・ウィーバーが演じるオーガスティン博士が操るアバターは,鼻筋のデフォルメがほとんどなされておらず,シガニー・ウィーバーの細い鼻筋の特徴をそのまま残しています。
また,ナヴィは半裸に近いエキゾティックな衣装をまとい,どこかアメリカ・インディアンを思わせますが,アバターのほうはTシャツやタンクトップにパンツというふうに,一般的なアメリカ人と変わらない服装です。(もっとも,主人公のジェイク・サリーは,ナヴィの文化を学ぶ過程でナヴィと同じ格好をするようになります。)
このように,『アバター』では,異星人ナヴィを人間の外見と大きく異ならせるだけでなく,ナヴィとアバターのあいだにも若干ではありますが差異が認められます。
そして,ナヴィとアバターの微妙な違いを出すために,両者を演じる役者のキャスティングも意識的に行われています。次回は,このキャスティングの偏りについてお話しします。