タイプライターに魅せられた男たち・第44回

オーガスト・ドボラック(10)

筆者:
2012年7月26日

1945年4月から1947年6月にかけて、ドボラックは、クロプステッグ(Paul Ernest Klopsteg)率いる「義肢研究委員会」のスタッフとなりました。また、これと前後してドボラックは、同僚のルイス(Richard B. Lewis)と共に、アレン(Robert Sharon Allen)という記者のタイプライターを製作することになりました。アレンは、コラム「Washington Merry-Go-Round」で知られた辣腕の新聞記者だったのですが、ドイツ戦線で負傷し、右腕を切断せざるを得なかったのです。1945年6月に復員したアレンは、それでも、コラムニストへの復帰を切望していました。アレンは入院中から、QWERTY配列のタイプライターを左手片手で打つ、というリハビリを重ねたのですが、どんなに努力しても毎分20ワードが限界でした。左手片手でタイプライターを打つためには、別のキー配列が必要だ、というのがアレンの結論であり、ドボラックを頼ることになったのです。

ドボラック式片手配列―左手用(『Handicap』誌1948年4月号)

ドボラック式片手配列―左手用(『Handicap』誌1948年4月号)

ドボラックは、左手片手用のキー配列を設計するにあたり、「T」「H」「E」を中段の薬指・中指・人差指に並べるところから始めました。これで「the」という単語を、なめらかに打つことができます。次に「A」「O」「I」の母音を人差指の「E」周辺に集め、使用頻度の高い子音「N」「S」「R」「L」「M」を中指の担当としました。「U」と「W」を薬指に、「D」と「Y」を小指にまかせ、その他の文字はキーボード上のやや打ちにくい位置に配置したのです。数字は右端に集められていて、全て人差指の担当となっています。ただし、数字の「1」は小文字の「l」で代用することになっていました。大文字やカッコなどの記号は、「CAPS LOCK」キー(中段左端)を使って打つことが想定されていました。

このキー配列によるタイプライターを、実際にアレンに試してもらったところ、約4週間の訓練で、アレンのスピードは毎分25ワードにまで回復しました。スピードはそれほどでもなかったのですが、アレンはこのキー配列を「QWERTY配列よりはるかに楽だ」と評価したのです。この評価を受けて、ドボラックとルイスは、さらに右手片手用のキー配列も設計することにしました。退役軍人の中には左腕を負傷したものも多く、彼らにとっても使いやすいキー配列を製作すべきだ、と考えたのです。

ドボラック式片手配列―右手用(『Handicap』誌1948年4月号)

ドボラック式片手配列―右手用(『Handicap』誌1948年4月号)

右手片手用のキー配列は、左手片手用のキー配列をほぼ反転したものでしたが、「Q」と「X」は人差指に移されました。タイプライターのキーボードは、左上から右下に向かって斜めに配置されているので、単純に反転するわけにはいかなかったのです。「U」を「T」の右上としたのも、同様の理由からです。一方、ルイスは、キャリッジリターン・改行用のフットペダルを開発しました。「IBM Electromatic」では、ボタン一つでキャリッジリターン・改行が可能だったのですが、このボタンが中段右端にあって片手では押しにくかったので、あえてフットペダルも付けることにしたのです。

キャリッジリターン・改行用フットペダル(『Popular Science Monthly』誌1946年3月号)
キャリッジリターン・改行用フットペダル(『Popular Science Monthly』誌1946年3月号)

オーガスト・ドボラック(11)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

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近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。