1947年9月、ワシントン大学に戻ったドボラックは、『科学的タイプライティング』(Scientific Typewriting)の改稿をおこないます。『科学的タイプライティング』は、8年ほど前に、ドボラックとメリックとディーリーとフォードが出版した本で、『タイプライティング・ビヘイビア』のダイジェスト版といった趣のものでした。ところがドボラックは、『科学的タイプライティング』の改稿にあたり、標準キーボード版(Standard Keyboard Edition)、すなわちQWERTY配列版としたのです。QWERTY配列においても『科学的タイプライティング』は可能だ、という方向に、ドボラックは傾きつつあったのでしょうか。
『Journal of the Franklin Institute』誌1949年11月号には、ドボラック式配列に対する痛烈な批判論文が掲載されました。「The Minimotion Typewriter Keyboard」と題されたこの論文は、ベル・テレフォン社の技術者グリフィス(Roy Thurlby Griffith)が、タイプライター向けの新しいキー配列を提案したものでした。
このキー配列を設計するために、グリフィスは、およそ10万ワード51万文字分の英文用例を集め、それらをIBMの統計機にかけることで、各文字の出現頻度と、連続する2文字の出現頻度を算出しました。その結果は、ドボラックとディーリーが1932年に示したものとは、大きく異なっていました。グリフィスの出現頻度表では、「th」+「ht」が15952で、最も高い頻度となっていました。第2位が「er」+「re」の14603でした。以下、第3位が「he」+「eh」、第4位が「in」+「ni」、第5位が「an」+「na」、第6位が「it」+「ti」、第7位が「at」+「ta」、第8位が「en」+「ne」、第9位が「et」+「te」、第10位が「on」+「no」となっており、ドボラックらの出現頻度表とは異なる結果が示されたのです。
特に、「ou」+「uo」の出現頻度を、ドボラックらは第4位としていたのに対し、グリフィスは第27位と結論づけました。あるいは、「nd」+「dn」の出現頻度を、ドボラックらは第9位としていたのに対し、グリフィスは第19位と結論づけました。この結果、グリフィスが提案するキー配列は、ドボラック式配列とは全く異なるものになりました。たとえば、「A」は左手小指ではなく薬指に置くべきであり、「D」と「U」を「home row」から追い出して「R」と「L」を入れるべきだ、というのがグリフィスの提案だったのです。
もちろん、ドボラックらの出現頻度表と、グリフィスの出現頻度表では、元となった例文が違うのでしょうから、結果が違ってくるのは当然です。しかし、グリフィスの論文に対し、ドボラックは反論をおこないませんでした。したくても、できなかったのです。ドボラックとディーリーが1932年に示した出現頻度表は、実は、彼ら自身の仕事ではなかったのです。ドボラックらの出現頻度表は、ロウ(Clyde Eugene Rowe)という人物の修士論文「Importance of Two-, Three-, Four- and Five-Letter Combinations on the Basis of Frequency in a Word List」(ピッツバーグ大学、1930年)から拝借してきたものでした。ロウの修士研究において、例文が適切に選ばれたのか、ドボラックには知る由もなかったのです。
(オーガスト・ドボラック(12)に続く)