1953年4月から1962年3月にかけて、ドボラックは、同僚のホースト(Paul Horst)率いる「多角的予測研究」プロジェクトに参画しました。この研究プロジェクトで、ドボラックが担当したのは、IBM 650を用いた統計心理学でした。具体的には、各学生の試験成績等をパンチカードで準備し、そこから各種係数や相関行列を求めるために、IBM 650で独自のプログラムを開発したのです。ちなみに、ドボラックのグループは、パンチカードを準備するために、IBM 026カード鑽孔機を用いたのですが、そのキー配列はQWERTYでした。ドボラックは、少なくともIBM 026に関しては、ドボラック式配列の採用を主張しなかったのです。
しかしドボラックは、ドボラック式配列の普及を、あきらめてはいませんでした。新聞記者に復帰したアレンの依頼で、1955年9月21日付のアレンのコラムに、ドボラックは、QWERTY配列を攻撃する文章を寄稿しています。少し引用してみましょう。
ショールズは故意に、現代の全指タッチタイピングに対して、ほとんど最悪とも言えるキーボードを作った。彼のタイプライターは、メカが遅く動きが鈍かったため、3本以上の指を使うタイピストは、活字棒をジャムらせてしまったからである。そこで、タイピストのスピードを遅くしてタイピストを困らせるため、ショールズは意図的に、キーからキーへの指の移動が極端に長くなるように、キーを配置した。この結果、「ce」「ec」「de」「ft」「nm」「un」「im」「in」「mi」「ni」「mn」「nu」などの文字列を連続して打つたびに、キーボードの列と列の間を、高速なタイピストの指は、1日8時間で12~20マイルも旅しなければいけないのだ。
22年前の論文では「ショールズのキー配列と、英単語中で連続する文字の並びとの間には、単なる偶然を除いて何の関係もない」と主張していて、12年前の論文では「単語中で一緒に使われる文字のうち、最も使用頻度の高い文字どうしが、円形にぶら下げられた活字棒の中で異なる四分円に入るよう、意図的に配置した」となり、そして今回は「タイピストのスピードを遅くしてタイピストを困らせるため、ショールズは意図的に、キーからキーへの指の移動が極端に長くなるように、キーを配置した」という主張になったわけです。どんどんエスカレートしていますね。
しかも、このドボラックの文章は、かなり奇妙です。特に以下の文章が、かなり奇妙なのです。
1932年から1933年にかけて、カーネギー財団教育基金は、発見によって人類の英知に寄与するため、莫大な研究助成金を2つ、ワシントン大学に交付した。なぜ、タイプライターは、学びにくく、スピードが遅く、疲れやすく、打ち間違いを起こしやすいのか、それを知るためである。
さらに続く部分も見てみましょう。
結果として生み出された「簡素化キーボード」は、数学的にも、実験的にも、そして実践的にも検証されたものだった。
カーネギー財団教育基金がドボラックに研究費を交付したのは、1933年と1934年のことです。たった1年のズレですが、このズレは致命的なのです。というのも、ドボラック式配列の発表は1932年で、カーネギー財団教育基金を交付される以前の話だからです。カーネギー財団教育基金の結果、ドボラック式配列が生み出されたわけではないのです。ドボラック本人が、それを取り違えるはずはないのです。この文章を寄稿した時点で、ドボラックは61歳だったのですが、それにしても、かなり奇妙なミスだと言わざるを得ません。
(オーガスト・ドボラック(13)に続く)