タイプライターに魅せられた男たち・第46回

オーガスト・ドボラック(12)

筆者:
2012年8月9日
IBM 650とIBM 533

IBM 650とIBM 533

1953年4月から1962年3月にかけて、ドボラックは、同僚のホースト(Paul Horst)率いる「多角的予測研究」プロジェクトに参画しました。この研究プロジェクトで、ドボラックが担当したのは、IBM 650を用いた統計心理学でした。具体的には、各学生の試験成績等をパンチカードで準備し、そこから各種係数や相関行列を求めるために、IBM 650で独自のプログラムを開発したのです。ちなみに、ドボラックのグループは、パンチカードを準備するために、IBM 026カード鑽孔機を用いたのですが、そのキー配列はQWERTYでした。ドボラックは、少なくともIBM 026に関しては、ドボラック式配列の採用を主張しなかったのです。

IBM 026のキー配列

IBM 026のキー配列

しかしドボラックは、ドボラック式配列の普及を、あきらめてはいませんでした。新聞記者に復帰したアレンの依頼で、1955年9月21日付のアレンのコラムに、ドボラックは、QWERTY配列を攻撃する文章を寄稿しています。少し引用してみましょう。

ショールズは故意に、現代の全指タッチタイピングに対して、ほとんど最悪とも言えるキーボードを作った。彼のタイプライターは、メカが遅く動きが鈍かったため、3本以上の指を使うタイピストは、活字棒をジャムらせてしまったからである。そこで、タイピストのスピードを遅くしてタイピストを困らせるため、ショールズは意図的に、キーからキーへの指の移動が極端に長くなるように、キーを配置した。この結果、「ce」「ec」「de」「ft」「nm」「un」「im」「in」「mi」「ni」「mn」「nu」などの文字列を連続して打つたびに、キーボードの列と列の間を、高速なタイピストの指は、1日8時間で12~20マイルも旅しなければいけないのだ。

22年前の論文では「ショールズのキー配列と、英単語中で連続する文字の並びとの間には、単なる偶然を除いて何の関係もない」と主張していて、12年前の論文では「単語中で一緒に使われる文字のうち、最も使用頻度の高い文字どうしが、円形にぶら下げられた活字棒の中で異なる四分円に入るよう、意図的に配置した」となり、そして今回は「タイピストのスピードを遅くしてタイピストを困らせるため、ショールズは意図的に、キーからキーへの指の移動が極端に長くなるように、キーを配置した」という主張になったわけです。どんどんエスカレートしていますね。

しかも、このドボラックの文章は、かなり奇妙です。特に以下の文章が、かなり奇妙なのです。

1932年から1933年にかけて、カーネギー財団教育基金は、発見によって人類の英知に寄与するため、莫大な研究助成金を2つ、ワシントン大学に交付した。なぜ、タイプライターは、学びにくく、スピードが遅く、疲れやすく、打ち間違いを起こしやすいのか、それを知るためである。

さらに続く部分も見てみましょう。

結果として生み出された「簡素化キーボード」は、数学的にも、実験的にも、そして実践的にも検証されたものだった。

カーネギー財団教育基金がドボラックに研究費を交付したのは、1933年と1934年のことです。たった1年のズレですが、このズレは致命的なのです。というのも、ドボラック式配列の発表は1932年で、カーネギー財団教育基金を交付される以前の話だからです。カーネギー財団教育基金の結果、ドボラック式配列が生み出されたわけではないのです。ドボラック本人が、それを取り違えるはずはないのです。この文章を寄稿した時点で、ドボラックは61歳だったのですが、それにしても、かなり奇妙なミスだと言わざるを得ません。

オーガスト・ドボラック(13)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。