この頃ワーグナーは、デンスモアの弟エイモス(Amos Densmore)から、アップストライク式タイプライターの改良に関する依頼を受けています。エイモスは、デンスモア・タイプライター社を立ち上げようとしており、義理の甥ウォルター(Walter Jay Barron)とともに、同社の看板となるタイプライターを開発していました。アップストライク式タイプライターの市場において、「Remington Standard Type-Writer No.2」や「Caligraph No.2」を超えるのは難題であり、エイモスはワーグナーを頼ったのです。
ワーグナーの数々のアイデアの中でも、特筆すべきは、ボールベアリングの採用でした。全てのキーと活字棒の可動部分に、ボールベアリングを用いたのです。それらの可動部分を全てボールベアリングとすることで、非常に滑らかな動作が可能になる、とワーグナーは考えたのです。
ただ、ボールベアリングの個数は、できるだけ減らしたいところです。この時点の設計では、各キーには2個所、活字棒には3個所の可動部分があり、仮に「Caligraph No.2」と同じ72キーとするならば、1台あたり少なくとも360個のボールベアリングが必要となります。一方「Remington Standard Type-Writer No.2」と同じ40キー(ただし、キーのうち2つは「Lower Case」と「Upper Case」なので活字棒はない)とするならば、1台あたり194個のボールベアリングで済みそうです。すなわち、ボールベアリングを減らすためには、シフト機構の実装が必須であり、できればダブル・シフト機構の方がいい、ということになります。しかし、ワーグナーが発明したダブル・シフト機構(U.S. Patent No. 326178)は、スミスとウンズに譲渡してしまったので使えません。シフト機構に関しては、ウォルターの特許(U.S. Patent No. 436820)を使うしかなさそうでした。
1891年11月、エイモスは「Densmore Typewriter」を発売しました。ワーグナーのボールベアリングと、ウォルターのシフト機構を採用した、39キー(うち1つは「Upper Case」キー)のアップストライク式タイプライターでした。「Densmore Typewriter」は、いわゆるブラインド・タイプライターだったものの、プラテンを持ち上げることができるようになっていて、打っている最中の文字を一応は確認できました。それは、もしかしたら、ワーグナーのこだわりだったのかもしれません。
(フランツ・クサファー・ワーグナー(8)に続く)