絵巻で見る 平安時代の暮らし

第22回 『源氏物語絵巻』「蓬生」段を読み解く

筆者:
2014年4月5日

場面:荒廃した末摘花邸に訪れる光源氏
場所:末摘花邸(故常陸宮邸)の寝殿
時節:内大臣光源氏29歳の4月中旬頃の夕刻。

人物:[ア]立烏帽子直衣姿の光源氏 [イ]傘持ちの従者 [ウ]立烏帽子狩衣姿の、光源氏乳母子の藤原惟光 [エ]末摘花の老女房、少将

庭内:①妻折傘(つまおれがさ) ②袖口 ③指貫 ④馬の鞭(むち) ⑤当腰(あてごし) ⑥浅沓 ⑦蓬 ⑧酢漿草(かたばみ) ⑨茅(ちがや) ⑩松 ⑪藤 ⑫柳

室内外:Ⓐ元結(もとゆい) Ⓑ几帳 Ⓒ簀子 Ⓓ高欄 Ⓔ板 Ⓕ縁束(えんづか) Ⓖ縁葛(えんかづら) Ⓗ柱 Ⓘ下長押 Ⓙ御簾 Ⓚ野筋

はじめに 今回から、いわゆる国宝『源氏物語絵巻』を見ていくことにします。これとは別に、東京国立博物館には「若紫」の断簡(断片)が残っています。しかし、断裁されて補修・補彩もあり、原形とは違ったものになっています。そこでこれは割愛して、現存する最初の「蓬生」から始めたいと思います。「蓬生」と次の「関屋」は、特に剥落が激しいのですが、原画を尊重してできる限り線描画にしてもらいました。

絵巻の場面 それでは、「蓬生」を読み解いていきましょう。ここは、光源氏が末摘花邸に訪れた場面です。須磨・明石の流離から京に戻った翌年、光源氏は花散里(はなちるさと)のもとに訪れようとした途次、荒れた邸内の木立に目をとめて、ここが見覚えのある末摘花邸であったことを思い出します。そこで、惟光に事情を探らせた上で、邸内に立ち入ることにしました。その光景がこの場面です。貧しい末摘花は、家が荒廃しても、けなげにも光源氏を3年以上待ち続けていたのでした。

この場面の時間は、降り続いた名残の雨がやんだ「艶なるほどの夕月夜」とされる夕刻です。このことは画面の読み解きに関係しますので、覚えておいてください。

光源氏の一行 まず光源氏一行を見ることにしましょう。一行は何人描かれているでしょうか。また、どれが光源氏でしょうか。描かれているのは3人なのです。

①妻折傘の下にいるのが[ア]光源氏になるのは当然ですね。その傘を持つ[イ]従者の②袖口と③指貫のほんの一部が、光源氏の後ろに描かれています。そして、光源氏を先導するのが、④馬の鞭を手に持つ[ウ]惟光です。腰に、⑤当腰(狩衣に用いる帯)が見えます。雨が降っていましたので、④鞭で草葉の雨露を払い、①傘は木立から落ちる雨の雫を防いでいるのです。光源氏自身は、⑥浅沓が見えますので、指貫の裾が濡れないように手で膝上あたりを持ちあげています。このあたりのことは、『源氏物語』本文に即しているようです。

下りたまへば、御先の露を馬の鞭して払ひつつ入れたてまつる。雨そそきも、なほ秋の時雨めきてうちそそけば、「御傘さぶらふ。げに木の下露は、雨にまさりて」と聞こゆ。御指貫の裾は、いたうそぼちぬめり。

【訳】 車から光源氏が下りられたので、惟光はお足もと先の露を馬の鞭で払い払いしてお入れ申しあげる。雨の雫も、やはり秋の時雨めいて振りかかるので、「お傘がございます。なるほど木の下露は、雨にまさりまして」と申しあげる。御指貫の裾は、ひどく濡れてしまっているようだ。

廂にいる女性は誰か 次は、画面右上の[エ]女性を見ましょう。引目鉤鼻に描かれていませんね。面長の横向きの顔は鼻と頬が突き出て、Ⓐ元結で束ねた髪は、少なく短いです。これは、この絵巻が描く、身分の低い老女の姿なのです。その指先は、Ⓑ几帳の帷子をつまんでいて、外を見ようとしていることになります。

この女性は以前、末摘花と考えられていました。しかし、物語本文や詞書から、最初に惟光に応対した老女であることは確かです。貧窮しても、たしなみのある末摘花が、端近に座るようなことはないでしょう。醜女とされる末摘花が、絵巻でどのように描かれたかは興味あるところですが、残念ながらそれは分かりません。

光源氏のように引目鉤鼻の人物の横顔に鼻は描かれません。[ウ]惟光に描かれているのは、老女と同じく身分が低いからです。それによって、光源氏と区別されているのです。

廃屋の様子 さらに廃屋の様子を観察してみましょう。雨ざらしとなるⒸ簀子は、Ⓓ高欄もⒺ板もほとんど崩れていますね。しかし、Ⓕ縁束(簀子の外側を支える短い柱)の上にある板やⒼ縁葛(簀子板を支える縁束の上に渡した横木)は、かろうじて残っています。縁束のために崩れにくいからで、理にかなった廃屋の表現となっています。

簀子は崩れやすいのですが、[エ]老女の座る廂は格子が嵌められますので、雨風が防がれ、住むことはできましょう。けれども荒廃が進行しているのは確かです。廂のⒽ柱やⒾ下長押の下部からは雑草が生え出しています。また、Ⓙ御簾の縁(ふち)は摺り切れ、添えられたⒷ几帳のⓀ野筋も千切れています。困窮した生活ぶりが描かれているのです。

画面の構図 続いて、画面の構図を確認しましょう。画面右上に老女、その対角となる左下に光源氏一行を配し、中央は雑草がはびこった庭にしています。庭が中心のようでもありますね。場面の時刻は月が出た夕刻でしたが、そのことを暗示するものはありません。しかし、復元模写で明らかになったのは、雑草の繁る庭の地面は、銀泥(ぎんでい。銀の粉末を溶かした顔料)が使用されて銀色に輝き、それが月の光があたっている光景なのではないかいうことでした。灯りも月も描かずに、銀泥で月光の反射を示したとすれば、この絵巻の優れた表現技巧となります。

また、雑草は、⑦ヨモギが多いようで、⑧カタバミ・⑨チガヤなどが原画でそれとなく分かるだけですが、10数種類が描かれていることも指摘されています。そして、これらの草々で、光源氏を待ち続ける末摘花の姿を語らせているともされました。

画面の趣向 末摘花を描かずに末摘花を暗示すること、これがこの場面の趣向と言えそうです。最後にこの点を確認しましょう。様々に説明が可能のようです。

まず、雑草に関して。物語本文では、末摘花に対してその叔母は、「薮原に年経たまふ人」「薮原に過ぐしたまへる人」などとなじっていました。また、光源氏は「草隠れに過ぐしたまひける年月」を末摘花が過ごしていたとしています。画面の草々は、末摘花の表象となるのは確かでしょう。なお、「浅茅は庭の面も見えず、しげき蓬は軒をあらそひて生ひのぼる【訳】浅茅は庭の地面も見えなく、繁茂した蓬は軒先まで高さを争うまで生い茂る」とする本文もありますが、それは前年のことで、画面は初夏に伸び始めた草々になります。

次は木立です。画面左上には、光源氏が目にとめた木立の⑩松に咲きかかる⑪藤と、⑫柳が描かれています。松は「待つ」と重なり、藤は人を誘う香りを発し、柳は枝が靡いて人を招きます。松・藤・柳の取り合わせは、やはり待ち続けた末摘花を表象する景物となります。

さらに画面の構図自体が、末摘花を暗示しています。絵巻は右から左へと見るものでした。そうしますと、まず末摘花邸を目にします。そして、左から入って来る光源氏一行が見えることになります。これは、待っている末摘花側を中心として、そこに訪れる光源氏という構図になります。末摘花の思いが、光源氏に届いたことを意味しているのだと思われます。巻名が「蓬生」ですので、草木と構図で末摘花を暗示していたと言えましょう。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。今回から、新たに国宝『源氏物語絵巻』特集が始まりました。次回は、「関屋」を取り上げる予定です。百人一首「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」という歌で知られる有名な関「逢坂」は、『源氏物語』でも、出会いと別れを象徴する場として描かれます。次回の絵巻解説もどうぞお楽しみに。

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