フィールド言語学への誘い:ザンジバル編

第7回 フィールドの人たちと仲良くなろう

筆者:
2018年4月20日

フィールドワーク中は、その言語を教えてくれる人だけでなく、滞在先の家の人、近所に暮らす人と多くの時間を過ごすことになります。彼らと良好な関係を築くことができれば、フィールドワークはとても楽しいものになります。今回は、私がフィールドの人たちに信頼してもらうため、あるいは彼らと仲良くなるためにどんなことをしているかをお話します。あらかじめ断っておきますが、特別なこと、難しいことなど何もしていません。みなさんも、自分だったらどうするか想像しながら読んでみてください。

調査のとき

言語調査でインフォーマントとなる人(調査に協力してくれる話者)は、普段の生活で聞かれることもないようなことを聞かれたり、やることもないようなことをやらされたりします。例えば、みなさんも「虫を殺したけど死ななかった」という文が自然であるか考えたり[注1]、「彼が明日来る」という文を何回も繰り返し発音するということは、したことがないでしょう。なぜこんな奇妙なことをするのかと、インフォーマントが疑問に思うこともしばしばあります。そんなときは、できるだけわかりやすく、調査の目的や理由を説明しなければなりません。私は「街のスワヒリ語とここの方言は発音が違うから比べてみたいんだけど、そのためには何回も発音してもらわなければならないんだよね」なんて言ったりしています。

こんなことをひたすらやり続ける言語調査というのは、インフォーマントにとって(そして研究者にとっても)、とても退屈でつらいものです。インフォーマントは調査の途中で必ずといっていいほどウトウトします。あまりに調査が退屈だと、インフォーマントは不自然なはずの例文を自然だといったり、普段通り発音してくれなかったりするかもしれません。それどころか、明日以降の調査に協力してくれなくなるかもしれません。私は調査を苦行としないために、調査を長時間行わないようにしたり(大体2時間以内)、途中で休憩をはさんで水を飲んだりしてもらっています。こちらが用意した質問だけでなく、調査の途中ででてきた方言特有の語や表現を説明してもらったり、インフォーマントが調査中に思いついた物語を語ってもらうのもいいでしょう。こんな風にして得られたデータのなかに予想もしなかった表現や語が隠れているかもしれません。

調査中の著者とインフォーマント

調査の際、インフォーマントに確認しなければならないことが2つあります。1つは録音、録画の許可。言語調査では、調べたことをノートにメモするだけでなく、その様子を録音、録画することがよくありますが、レコーダーのスイッチをいれる前には、必ず録音や録画の許可をとらなくてはいけません。いきなり無断でレコーダーやビデオのスイッチがいれられたら、誰だって不快な気持ちになります。調査の途中で、電話がかかってきたり、他の人が何か用事で訪ねて来たときは、レコーダーを止めるという配慮も必要となります。もう1つ確認すべきことは、データ公開の許可。調査で得られたデータ(例文、音声、写真、動画)は、学会や論文で公開することになりますが、その公開の可否についても許可を得なければなりません。論文の謝辞(お世話になった人への感謝の言葉)にインフォーマントの名前を書いていいかも尋ねるべきでしょう。調査によって得られた成果は、あなた一人のものではなくて、データを提供してくれたインフォーマントのものでもあることを忘れてはいけません。

謝礼とおみやげ

私がザンジバルで調査をする際は、インフォーマントに謝礼としてお金を渡しています。謝礼については、調査地の物価や文化・風習を考慮して、渡すべきか[注2]、渡すとすればいくら位が適当か、渡す方法はどうすればいいか、ということを考えなければなりません。私は、1, 2時間程度の調査の最後に、コカ・コーラが数本買える程度の額[注3]のお札を小さく折りたたんで、他の人に見えないようにこっそりと手渡しています。この額や渡し方は、私を村に連れて行ってくれた古文書館のスタッフに教えてもらったものです。

フィールドには、謝礼(お金)だけでなくおみやげも持って行きます。定番は、キャンディやビスケットのようなお菓子。フィールドで撮った写真[注4]や私がいつも使っている牛乳石鹸や綿棒、バスタオルなんかも喜ばれます。街にいったん戻るときは、村では手に入りにくい大きな玉ねぎやトマトなんかを持っていくこともあります。普段の生活をよく観察して、どんなものがフィールドの人たちに喜ばれるか調べておくといいでしょう。ちなみに、日本的なおみやげは、必ずしも歓迎されるわけではないということも覚えておいてください。

フィールド滞在中は、調査をしていない時間のほうがずっと長く、その間はインフォーマント以外の地域の人々(つまりご近所さん)と過ごすことになります。研究者は、その地域コミュニティのメンバーの一人として、どうふるまうべきか、どんな役割を果たすことができるのかということも頭の片隅に置くべきでしょう。私は、進級試験前の中学生に数学を教えたり[注5]、家のお母さんや近所のお母さん[注6]のお使いとして、お米や野菜を買いに行ったりしています。調査をするだけがフィールドワークではありません。

コラム4:名づけの方法

ザンジバルの人の名前は、多くの場合、他のイスラム圏でもみられるものですが、中には変わり種もあります。例えば、私の調査協力者の女性には、「私はまだ信じない (Sijaamini)」「私はまだ同意していない (Sijadumba)」という名前の双子の子供がいます。彼女は、死産や自分の子供の夭逝(ようせい)(若くして死ぬこと)を経験したのちに、この双子を出産したため、彼らがちゃんと育ってくれるか不安に思い、このように命名したそうです。ちなみに、彼らは今では立派に成長しています。これ以外にも、「あなたたち私を笑いなさい (Nchekani)」や、「あなたたち置きなさい(Tuani)」と言った名前も耳にしたことがあります。

* * *

[注]

  1. この文を自然であると感じる日本語母語話者もいれば、不自然であると感じる日本語母語話者もいる。
  2. 日本での調査では渡さないことが多いようである。
  3. 日本円で約300円程度。現地の物価や平均収入を考慮すると、若干高額となる。
  4. 最近では、私が写真を撮って、あとで渡すことが知られていて、写真を撮りにくるよう呼ばれることもしばしばある。際限なく写真を要求されることもあるため、「2枚目以降は有料」と言っている。ただし払ってもらえるとは限らない。
  5. ザンジバルの中学生はあまり数学が得意ではない。
  6. 自分の家の子供だけでなく、近所の家の子供をお使いにやるということはよくある。

筆者プロフィール

古本 真 ( ふるもと・まこと)

1986年生まれ、静岡県出身。大阪大学・日本学術振興会特別研究員PD。専門はフィールド言語学。2012年からタンザニアのザンジバル・ウングジャ島でのフィールドワークを始め、スワヒリ語の地域変種(方言)について調査・研究を行っている。

最近嬉しかったことは、自分の写真がフィールドのママのWhatsApp(ショートメッセージのアプリ)のプロフィールになっていたこと。

編集部から

今回はフィールドの人たちとの付き合い方についてのお話でした。第5回に登場した古文書館の女性スタッフやホームステイ先のマクンドゥチの家のお母さん、また、今回の記事の写真のインフォーマントなど、古本さんの調査が多くの人の協力と彼らとの信頼関係から成り立っていることが分かります。次回は村でのある1日を紹介していただきます。お楽しみに。