日本語社会 のぞきキャラくり

第66回 『女』と体言

筆者:
2009年11月22日

『男』と『女』の「品」「格」について述べてきたが(第64回第65回)、「品」「格」を別にしても―いや実は「品」「格」と結び付くことなのかもしれないが―『男』と『女』には大きな違いがある。それは、特に『女』だけが体言の文を好むということである。

たとえば、降り始めた雨に気が付いたという状況で「あ、雨」と言うのはふつう『女』か『子供』だろう。少なくとも『男』っぽい言い方ではない。文「あ、雨」は名詞「雨」を述語としており、名詞とは最も典型的な体言であるから、この文は体言の文である。

『男』なら、そもそも文の出だしで「あ」などと言うかという問題は措いても、この状況では「雨」よりは「雨だ」だろう。ここでは名詞「雨」に助動詞「だ」が付いており、それだけ文は体言の文らしくない。「特に『女』だけが体言の文を好む」とは、このようなことを指す。

外の天気を人に教えてやる場合も同じである。『女』なら「雨よ」と言うが、『男』なら助動詞「だ」を付けて「雨だよ」と言う。いや「雨だぞ」「雨だぜ」の方が『男』っぽいが、いずれにしろ「だ」が付いている。また、「外は雨だ」と言う人に同意する場合、『女』なら「雨ね」と言うが、『男』なら助動詞「だ」を付けて「雨だね」と言う。「雨だな」と言えばさらに『男』っぽいが、これも「だ」が付いている。(ここでは「よ」「ぞ」「ぜ」「ね」「な」の違いには触れない。)

「きれいな色」「大変な事態」のように、「きれい」「大変」は直後に「な」が付く点で名詞とは区別され、形容名詞などと呼ばれることがあるが、やはり同様である。「色がきれい」「まあ、大変」のように、『女』は体言の文をしゃべる。そもそも『男』が「きれい」などとロマンチックなこっぱずかしいことをしゃべるか、「大変」などと大騒ぎするか、という問題に目をつぶれば、「色がきれいだ」「大変だ」のように、『男』は「だ」を付けてしゃべる。

では、述語が動詞の場合はどうか。子供に「カマキリって飛ぶ?」と訊かれて、「飛ぶよ」と答えるか、「飛ぶのよ」と答えるか。『男』なら「飛ぶのよ」は難しく、「飛ぶのよ」は『女』に偏っている。動詞「飛ぶ」は最も典型的な用言、つまり体言とは対局にあるものだが、「飛ぶ」に「の」が付いて「飛ぶの」になると体言っぽくなる。

形容詞の場合も同様である。「これ、熱い?」と訊かれて答える場合、「熱いよ」と比べて、「の」が付いた「熱いのよ」は『女』っぽい。

『女』が文を体言らしくする手だては、「の」だけではない。今日は欠席だと告げた後で、頭が痛いと理由を付け足すところで「もん(もの)」を付けて、「今日は欠席よ。頭が痛いんだもん」のように言うのも、やはり『男』っぽくない。『男』なら「それは大変だ」と驚くところで「こと」を付けて、「それは大変だこと」と驚くのは『女』である。このように、『男』っぽさを減じ、『女』っぽさを増す「の」「もの」「こと」は、今では文末のことばとして通用しているが、「それはあの人のです」「それはあの人のものです」「それはあの人がしたことです」に見られるような名詞(あるいは準体助詞)としての性質も残しており、皆、体言としての性質が強い。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。