『男』と『女』の「品」「格」について述べてきたが(第64回・第65回)、「品」「格」を別にしても―いや実は「品」「格」と結び付くことなのかもしれないが―『男』と『女』には大きな違いがある。それは、特に『女』だけが体言の文を好むということである。
たとえば、降り始めた雨に気が付いたという状況で「あ、雨」と言うのはふつう『女』か『子供』だろう。少なくとも『男』っぽい言い方ではない。文「あ、雨」は名詞「雨」を述語としており、名詞とは最も典型的な体言であるから、この文は体言の文である。
『男』なら、そもそも文の出だしで「あ」などと言うかという問題は措いても、この状況では「雨」よりは「雨だ」だろう。ここでは名詞「雨」に助動詞「だ」が付いており、それだけ文は体言の文らしくない。「特に『女』だけが体言の文を好む」とは、このようなことを指す。
外の天気を人に教えてやる場合も同じである。『女』なら「雨よ」と言うが、『男』なら助動詞「だ」を付けて「雨だよ」と言う。いや「雨だぞ」「雨だぜ」の方が『男』っぽいが、いずれにしろ「だ」が付いている。また、「外は雨だ」と言う人に同意する場合、『女』なら「雨ね」と言うが、『男』なら助動詞「だ」を付けて「雨だね」と言う。「雨だな」と言えばさらに『男』っぽいが、これも「だ」が付いている。(ここでは「よ」「ぞ」「ぜ」「ね」「な」の違いには触れない。)
「きれいな色」「大変な事態」のように、「きれい」「大変」は直後に「な」が付く点で名詞とは区別され、形容名詞などと呼ばれることがあるが、やはり同様である。「色がきれい」「まあ、大変」のように、『女』は体言の文をしゃべる。そもそも『男』が「きれい」などとロマンチックなこっぱずかしいことをしゃべるか、「大変」などと大騒ぎするか、という問題に目をつぶれば、「色がきれいだ」「大変だ」のように、『男』は「だ」を付けてしゃべる。
では、述語が動詞の場合はどうか。子供に「カマキリって飛ぶ?」と訊かれて、「飛ぶよ」と答えるか、「飛ぶのよ」と答えるか。『男』なら「飛ぶのよ」は難しく、「飛ぶのよ」は『女』に偏っている。動詞「飛ぶ」は最も典型的な用言、つまり体言とは対局にあるものだが、「飛ぶ」に「の」が付いて「飛ぶの」になると体言っぽくなる。
形容詞の場合も同様である。「これ、熱い?」と訊かれて答える場合、「熱いよ」と比べて、「の」が付いた「熱いのよ」は『女』っぽい。
『女』が文を体言らしくする手だては、「の」だけではない。今日は欠席だと告げた後で、頭が痛いと理由を付け足すところで「もん(もの)」を付けて、「今日は欠席よ。頭が痛いんだもん」のように言うのも、やはり『男』っぽくない。『男』なら「それは大変だ」と驚くところで「こと」を付けて、「それは大変だこと」と驚くのは『女』である。このように、『男』っぽさを減じ、『女』っぽさを増す「の」「もの」「こと」は、今では文末のことばとして通用しているが、「それはあの人のです」「それはあの人のものです」「それはあの人がしたことです」に見られるような名詞(あるいは準体助詞)としての性質も残しており、皆、体言としての性質が強い。