この連載の「その49」で、旧版の『三省堂国語辞典』は、〈簡潔を期するあまり、〔略〕ほかの似たことばとの違いがよく分からない場合もありました〉と記しました。これはやや一面的な書き方だったかもしれません。『三国』は、「簡潔」と「ことばの特徴を際立たせること」を両立させようと工夫してきた辞書でもあるからです。
「こわい」「おそろしい」の語釈を見ると、その工夫の一端がわかります。
初版(1960年)では、「こわい」は〈(何か自分に害がくわえられそうで)にげたい・(ちかづきにくい)気持ちだ。〉と説明されています。一方、「おそろしい」は、単に〈こわい。〉と書いてあるだけです。簡潔に傾きすぎて、ことばの特徴を際立たせられませんでした。
当時の執筆陣としても、これには不満足だったようです。次の第2版(1974年)では、記述が大幅に充実し、次のようになりました(※)。
こわい…〈(自分に害が くわえられそうで)からだが ふるえるような気持ちだ。〉
おそろしい…〈たいへんなことが起こりそうで、避(サ)けたいと思う状態だ。こわい。〉
きわめて的を射た説明です。「こわい」は、生理的な反応を伴うもので、犬にほえられたり、高いところに登ったりして、体がぶるっと来る感じを言います。〈からだが ふるえるような気持ちだ。〉とつけ加えたことで、特徴がよく分かるようになりました。
一方、「おそろしい」は、天変地異など、自分の力ではどうにもならない事態を前にして生まれる感情です。語釈では、「ふるえるような気持ち」などとせず、〈避(サ)けたいと思う状態だ。〉と、客観的な判断を伴う感情であることを示しています。
じつは、今回の第六版の編集時に、この「こわい」「おそろしい」にも手を入れようとしました。「高いところに登ってこわい」という場合、〈自分に害が くわえられそう〉とはちょっと違います。また、「おそろしい殺人事件」は、〈たいへんなことが起こりそう〉ではなく、もう起こったことです。こういった例を覆う語釈なら、よりよさそうです。
とはいえ、そういうさまざまなケースに対応するように語釈をくわしくすると、「こわい」「おそろしい」それぞれの特徴的な部分についての説明が弱くなり、語釈が濁ってきます。いろいろ試みる中で、第二版以来の記述が、いかに簡潔で要を得ているかを実感しました。結局、今までの記述は変えないことにしたのです。
(※注 「おそろしい」の語釈は、執筆陣が重なっていた『新明解国語辞典』初版・第二版と共通しています。)