日本語社会 のぞきキャラくり

第65回 『男』+『女』=『男』?

筆者:
2009年11月15日

「『男』は『女』よりも格が上」「『女』は『男』よりも品が上」という通念・期待に日本語社会が大きく寄りかかっていることは前回述べた。だが、そこで述べたことは、実は日本語社会にかぎって成り立つことではなく、程度や様態の差こそあれ、他言語社会にも見られるものではないか。というのは、日本語にかぎらず多くの言語で広く観察される、人間の総称や集団の呼称に関する男女の違いは、こう考えることで初めて納得がいく部分があるからである。

世界トップクラスのゴルファーが集まっているところに、ゴルフは上手です、ハンディーは先日シングルになりましたという人が1人加われば、それはもはや「世界トップクラスのゴルファーの集まり」ではなく「ゴルフが上手な人の集まり」でしかない。反対に、ゴルフが上手な人たちのところに世界トップクラスのゴルファーが1人加わっても、それはやはり「ゴルフが上手な人たち」である。このように、集団全体の呼称となる、つまり相手側を押さえ込んで「上をとる」のは、何か(この場合はゴルフの腕前)が劣る者の方である。私には、この「何かが劣る」ということが品と結び付くように思われるのだが、どうだろうか。

よく知られているように、英語では“man”(男)と“woman”(女)を併せて“man”(人間)と言う。つまり“man”(男)が「上をとっている」。フランス語や日本語では男性形の「彼ら」が「上をとっている」。フランス語では男性の集まり(3人称)は“ils”と言い、女性の集まり(3人称)は“elles”と言うが、女性の集まりに男性が1人でも入ると“ils”となる。日本語では、男性の集まりを「彼女ら」と言うことは(『オカマ』の集まりの場合を除けば)ないが、女性の集まりは「彼女ら」だけでなく、「彼らは10代で出産した」のように「彼ら」と言うこともある。

このようなことばの状況が「男性が上をとるとは女性差別だ。けしからん」と問題にされていることは、すでにご承知のとおりである。これが女性差別だという考えに、異を差し挟もうとは思わない。上をとられるのは、確かに腹立たしいことに違いないし、そもそも女性を“wo + man (男)”と呼ぶことじたいが女性差別っぽい。

その上での話だが、私が思うのは、こうしたことばの状況が、男性差別でもあるということである。「やっぱり格上だから」とおだてられて上をとらされている者は、実は何なのかということである。

フランスのことわざにもあるじゃないですか。「樽いっぱいのワインに一さじの汚水を混ぜたらそれは汚水だ。樽いっぱいの汚水に一さじのワインを入れても、ワインにはならない」って。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。