『日本国語大辞典』をよむ

第74回 最も美味

筆者:
2020年9月27日

あきかます【秋魳】〔名〕初秋にとれるカマス。味は最も美味。

それほど長くない語釈中で「味は最も美味」が気になる。何が気になるかといえば、「味は最も美味」と日本文化圏で言われているということか、そうではなくて、『日本国語大辞典』編集部がそう認めているということか、ということだ。「日本文化圏」は大げさだが、例えばある地域では、カマスは初秋に限るということが喧伝されているとすれば、それは「文化誌的な事実」ということになり、語釈に記されていてもよいことがらになる。その一方で、『日本国語大辞典』編集部が認めているとか、この項目執筆者がそう思っているということは、「文化誌的な事実」とはまあ考えにくく、どちらかといえば、限定的な、あるいは個人的な「見解」ということになる。しかし、項目執筆者の(特に、味覚のような幅のありそうなことについての)「見解」がそのまま語釈になっているということは一般的には考えにくく、どう判断すればよいか、「読み手」としては迷う。

ジャパンナレッジの検索機能を使い、「最も美味」を、範囲を「全文(見出し+本文)」に設定して検索すると、22件ヒットする。

あきあじ【秋鰺】〔名〕秋にとれるアジ。最も美味な時という。《季・秋》*俚言集覧〔1797頃〕「秋味 鮭を云。又伊勢にてあぢの秋になりて味の美なるをいふ」

上の「アキアジ(秋鰺)」の場合は、『俚言集覧』に伊勢地方で、秋になってアジの味が「美なる」ことを「アキアジ」と言う、という記述を受けているので、語釈も「最も美味な時という」と記されているのだろう。「という」が「典拠がある」ということを示したかたちになっている。

あきいわし【秋鰯】〔名〕秋にとれるイワシ。イワシは秋がしゅんなので、脂がのり最も美味。《季・秋》*俳諧・宗因高野詣〔1674〕秋「きくに声の西南よりや秋鰯」

しかし、上の「アキイワシ(秋鰯)」の語釈には「イワシは秋がしゅんなので」とあって、これは現在の「認識/見解」を述べているようにみえる。ただし、イワシの旬は一概には言いにくいという「みかた」もあるようだ。

あきさば【秋鯖】〔名〕仲秋から晩秋にかけてとれるサバ。特に一〇月頃とれる本鯖。あぶらがのって、最も美味とされる。《季・秋》

上の「アキサバ(秋鯖)」の語釈も「最も美味とされる」で「とされる」と表現されているが、この項目からは「典拠」があるかどうかはわからない。

おにく【尾肉】〔名〕鯨の尾の付け根の最も美味な部分の肉。尾の身。腰肉。

かわはぎ【皮剥】〔名〕(略)(3)カワハギ科の海魚。全長は三〇センチメートル近くに達する。からだは側扁し、菱(ひし)形に近い。口は小さくとがり、目の上方に第一背びれである一本のとげがある。体色は一般に黄褐色の地色に、暗色斑が散在するが、変異が大きい。皮膚は厚く表面はざらざらしている。北海道以南から東シナ海にかけて分布し、水深一〇〇メートル以浅の砂底に群生する。夏、最も美味とされ、刺身やちり鍋などとし、肝臓はとくにうまい。料理の際にまず皮をむいてから行なうのでこの名がある。はぎ。はげ。うまづら。かわむき。学名はStephanolepis cirrhifer(略)

くじらのおばいけ 鯨の尾と身との間の肉。鯨の中で最も美味とされる部分。おばいき。おばけ。*随筆・貞丈雑記〔1784頃〕六「鯨のおばいけと云は尾と身との間の肉也肥前にてはおばけといふ」

ゆうしょう【熊掌】〔名〕熊(くま)のてのひら。中国で、最も美味なものとして珍重された。熊蹯(ゆうはん)。*異制庭訓往来〔14C中〕「熊掌、猩々唇、猪顙、兔髄、新豊下若千金之美酒」*侏儒の言葉〔1923~27〕〈芥川龍之介〉侏儒の祈り「どうか又熊掌にさへ飽き足りる程、富裕にもして下さいますな」*孟子‐告子・上「魚我所欲也、熊掌亦我所欲也、二者不兼、舎魚而取熊掌者也」

「オニク(尾肉)」はクジラの肉の中で、「最も美味な部分の肉」ということだろうか。それとも「鯨の尾の付け根」の肉の中に「オニク(尾肉)」と呼ばれる部分があるということだろうか。前者のように思われるが、もしもそうだとすると、「くじらのおばいけ」も「鯨の中で最も美味とされる部分」ということで、どちらが「最も美味」なのか、ということになりそうだ。あるいは、両者は同じ部分の異なる名称なのだろうか。

クマのてのひらが美味であることはよく耳にするが、「中国で」がつくと、少なくとも中国料理の中で「最も美味」ということになるが、これは「典拠」がほしいような気がする。

ここまで「最も美味」という語釈をめぐってあれこれと述べてきたけれども、味覚の秋、なんだかんだといわずに、おいしいものを食べて秋を楽しむのが一番。ついでに、『日本国語大辞典』で、上に引用しなかった「最も美味」を調べてみるのもまた一興。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。