『日本国語大辞典』をよむ

第73回 幽鬼は幽霊か?

筆者:
2020年8月23日

『日本国語大辞典』の見出し「ゆうれい」は次のように記されている。

ゆうれい【幽霊】【一】〔名〕(1)死者の霊魂。亡魂。*中右記-寛治三年〔1089〕一二月四日「毎年今日可念誦、是為本願幽霊成道也」*金剛三昧院文書-徳治二年〔1307〕五月二五日・阿闍梨道寂寄進状「且為先師幽霊之菩提等」*曾我物語〔南北朝頃〕一一・箱根にて仏事の事「此度の御仏事、ありがたくこそ候へ。過去ゆうれい、さだめて正覚なりたまふべし」*音訓新聞字引〔1876〕〈萩原乙彦〉「幽霊 ユウレイ ヒトダマノサホナルキミ」*後漢書-霍★伝(編集部注:★は、偏が言、旁の上が疋で下が月)「昔東海孝婦、見枉不辜、幽霊感革、天応枯旱」(2)死者が成仏できないで、この世に現わすという姿。また、妖怪。おばけ。*謡曲・舟弁慶〔1516頃〕「そもそもこれは、桓武天皇九代の後胤、平の知盛幽霊なり」*御伽草子・小町草紙〔室町末〕「これはたしかなる、ゆうれいなるとて、くさむらをかき分けて見給へば、女はなし。ただ白骨と薄一むら生い(ひ)にけり」*滑稽本・浮世風呂〔1809~13〕四・上「『ぬしは雪女を見たか』『ウンニャ』『おらア見たぜ。流石のおれも寒粟(ぞっ)とした』『幽㚑(ユウレイ)だの』『雪の化物だア』」*読本・南総里見八犬伝〔1814~42〕五・四九回「世に冤魂(ユウレイ)といふものの、ありとは聞けど目前に、見しははじめて」*たけくらべ〔1895~96〕〈樋口一葉〉五「己(お)れも三五郎だ唯死ぬものか、幽異(ユウレイ)になっても取殺すぞ」(3)八朔に白無垢を着た遊女を(2)に見立てていう。*雑俳・柳多留-三一〔1805〕「ゆうれいの月見をたのむこわい事」(4)あてにならないこと。*新撰大阪詞大全〔1841〕「ゆうれいとは あてにならんこと」(5)実際は存在しないのに、あるように見せかけたものをいう語。「幽霊会社」「幽霊人口」など。(6)弁護士をいう、盗人仲間の隠語。〔隠語輯覧{1915}〕【二】(原題{ノルウェー}Gengangere )戯曲。三幕。イプセン作。一八八一年作。八三年ヘルシンキで初演。亡夫の不行跡を世間や息子に秘めてきたアルビング夫人が、父の病毒を受けて痴呆状態になる息子オスワルドに、夫の幽霊をみて絶望にいたるまでを描く。

『後漢書』の使用例があげられているので、「ユウレイ」は古典中国語といってよい。室町末に成ったと考えられている『御伽草子』「小町草紙」に平仮名で書かれた「ゆうれい」があることは室町時代末頃までに「ユウレイ」が「はなしことば」でも使われるような漢語になって、「漢字離れ」をしていることを推測させる。また、江戸時代に成った『浮世風呂』、『南総里見八犬伝』において、それぞれ漢字列「幽」「冤魂」の振仮名として「ユウレイ」がみられることは、「ユウレイ」が「幽霊」という漢字列の支えなく使用できるようになっていることを思わせる。樋口一葉が『たけくらべ』において漢字列「幽異」に「ユウレイ」と振仮名を施していることも同様だ。「幽」「冤魂」「幽異」という漢字列を使って「ユウレイ」という語を書くことができるということは、それだけ語としても安定的に使われているということを示している。語義(4)は「ユウレイ」がもともとの語義から「あてにならないこと」という語義に転じていることを示しており、それが語義(5)にあげられている「幽霊会社」などの複合語をうみだしている。おそらく語義(6)も〈あてにならない〉ということとかかわっているのだろう。

実は見出し「ゆうれい」に先立って、見出し「ゆうき」があった。

ゆうき【幽鬼】〔名〕死人の霊魂。幽霊。亡霊。また、鬼。化け物。変化(へんげ)。妖怪。*浄瑠璃・津国女夫池〔1721〕四「幽鬼(ユウキ)のしわざぞふしぎ成」*花柳春話〔1878~79〕〈織田純一郎訳〉五九「地下の幽鬼(ユウキ)に異ならず」*いさなとり〔1891〕〈幸田露伴〉八七「腑甲斐なくも幽鬼(イウキ)に悩まさるるとは」

見出し「ゆうき」の語釈からすると、「ユウキ」は「ユウレイ」や「ボウレイ」とほぼ同義とみなされているように思われる。そうなのかな? と思ったのが今回のそもそもの始まりだ。この見出しの使用例には中国の文献があげられていない。そこで確認のために『大漢和辞典』を調べてみた。『大漢和辞典』では、見出し「幽」の條下の語彙に、「幽鬼」があげられており、そこには「死者の魂。幽霊(467)に同じ」とある。さらに使用例として「津国女夫池」の例があげられており、それ以外の使用例は示されていない。「浄瑠璃・津国女夫池」は『日本国語大辞典』もあげている。このことからすると、「ユウキ」は漢語ではない可能性がありそうだ。ある語が漢語か漢語でないかは、要するに中国の文献で使われたことがあったかどうか、ということであるので、「漢語でない」と(合理的な疑いなく)断言することは難しい。したがって、日本で刊行されている最大規模の漢和辞典である『大漢和辞典』があげていない、というようないいかたしかできない。

ほかにも「幽霊」に関連するものとして「キコクシュウシュウ」という語がある。

きこくしゅうしゅう【鬼哭啾啾】〔形動〕浮かばれない霊魂の泣き声がもの哀しく凄い感じであるさまを表わす語。*江戸から東京へ〔1921〕〈矢田挿雲〉三・三「何千何百人か知れぬ無告の霊が鬼哭啾々(キコクシウシウ)として寄辺無きを弔はんものと」

中国語の「鬼」が〈死者の魂〉である。そのことを承知していると、「幽鬼」がなんとなく中国語つまり漢語らしく感じてしまうが、ここまで確認してきたことからすると、「幽鬼」は漢語ではないかもしれないということになる。『日本国語大辞典』も「浄瑠璃・津国女夫池」より前の使用例をあげていない。それにもかかわらず(という表現のしかたをしていいかどうか、であるが)明治期には使用されている。

さて、江戸川乱歩には「幽鬼の塔」と題された作品がある。1939(昭和14)年4月1日に雑誌『日の出』4月号(8巻4号)に載せられ、昭和15年3月まで11回にわたって、同誌に連載された。この作品はベルギーのジョルジュ・シムノンの長篇『サン・フォリアン寺院の首吊り人』をもとに書かれていることがわかっているが、それはそれとする。この「幽鬼の塔」が中国語に翻訳されているのだが、そのタイトルは「鬼魂塔」で、「幽鬼」が「鬼魂」という語に置き換えられている。そういえば江戸川乱歩には「幽霊塔」もある。

「幽霊」「幽鬼」2語からもさまざまなことを考えるきっかけが得られておもしろい。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。