『日本国語大辞典』の見出し「あおうきくさ【青浮草・青萍】」を次に示す。
あおうきくさ【青浮草・青萍】〔名〕ウキクサ科の多年草。水田、沼沢、池などの水面にただよい、しばしば大量に群生する。長さ二~四ミリメートルの緑色扁平な葉状のものが茎で、葉はない。裏面の中央から一本の根が垂れている。体の左右にある袋から幼体を生じてふえる。花はきわめて小さく、白または淡い緑色で、夏から秋にかけて咲く。学名はLemna aoukikusa 《季・夏》*重訂本草綱目啓蒙〔1847〕一五・水草「水萍〈略〉米粒の大さにして面背共に緑色なる者は青萍なり、あをうきくさと呼」
「辞書」欄には「言海」とだけあり、「表記」欄にも『言海』に「青浮草」とあるということが示されているのみである。『言海』には次のようにある。(注:以下引用中の太青字は筆者による)
あをうきくさ(名) 青浮草 うきくさノ一種、葉小ク、楕圓イビツニシテ、みづはこべノ如ク、面モ背モ緑ナリ。青萍
『言海』は当初は官版として出版されるはずであったが、それが頓挫したために、大槻文彦の「私版」として出版されている。『言海』以前には官版『語彙』が企図されていたが、こちらは巻一から巻五まで(阿之部)が明治4年に、巻六から巻十二まで(伊之部・宇之部)が明治14年に、巻十三(衣之部)が明治17年に出版され、それ以後は未完となった。つまり官版『語彙』も頓挫している。官版『語彙』においても「あをうきくさ」は見出しになっている。(注:以下引用中の太青字は筆者による)
あをうきくさ 俗 草名、浮萍の一種葉小く楕イビツにして水馬歯ミヅハコベの如く面背オモテウラ共に緑色水上に浮びて生ず○青萍
『語彙』の語釈と『言海』の語釈とを並べてみると、近似していることがすぐにわかる。『言海』は「イビツ」に漢字列「楕圓」をあてているが、『語彙』は「楕」をあてている。また『語彙』は「ミヅハコベ」に漢字列「水馬歯」をあてているが、『言海』は平仮名書きしている。これは『言海』が「みづはこべ」を見出しにしているためと思われる。こうなると、『日本国語大辞典』が使用例としてあげている『重訂本草綱目啓蒙』はどうなっているかを確認したくなる。筆者が所持している写本を使って『重訂本草綱目啓蒙』の「あをうきくさ」の記事をあげる。(注:以下引用中の太青字は筆者による)
葉小ク楕ニシテ水馬歯ミヅハコベノ葉ノ如ク米粒ノ大サニシテ面背共ニ緑色ナル者ハ青萍ナリアヲウキクサト呼
漢字列「水馬歯」には朱で「ミヅハコベ」と振仮名が施されている。これは「本文」が書写された後に「本文」を書いた人とは別の人が施したものである可能性もある。そのことは措くとして、『重訂本草綱目啓蒙』の記事と官版『語彙』の記事とはそうとうに「ちかい」。三者に共通するところに太青字を施してみると、官版『語彙』の記事は、『重訂本草綱目啓蒙』の記事をもとにつくられているとみるのが自然であろう。そして『言海』の記事は、官版『語彙』をもとにつくられているようにみえる。
『重訂本草綱目啓蒙』の記事を参照して官版『語彙』の語釈が書かれることがあり、官版『語彙』の語釈を参照して『言海』の語釈が書かれることがあった、ということを「証明」するためには、もちろん多くの語釈において、上のようなことが指摘できなければならない。ここは、そのような調査結果を述べるところではないので、上一例のみから「判断」して、という限定をつけてのことになるが、ここまで行なった対照からは、『重訂本草綱目啓蒙』→官版『語彙』→『言海』という「情報」のつながりがありそうに思われる。『言海』は近代的な国語辞書の嚆矢といわれることがある。「近代的な国語辞書」と呼ばれる理由は幾つかあるだろうが、「普通語」の辞書であることを謳ったということは理由の一つとしてよい、と考える。「普通語」とは何か、という問いがすぐ思い浮かぶが、今ここでは、「広く使われている語」(通用語)ぐらいにとらえおくことにしたい。『言海』は「普通語」の辞書を標榜していることを謳い、その一方で、「地名人名等ノ固有名称、或ハ、高尚ナル学術専門ノ語」を見出しにしないことを述べている。
必要があって、明治期の英和・和英辞書を少し集中的によんだ。それによって、気づいたことは、英和辞書は『言海』が見出しにしないことをいわば「宣言」した「地名人名等ノ固有名詞」「学術専門ノ語」をむしろ積極的に収めているということだ。今さらだったかもしれないが、英和辞書は「学術専門ノ語」に符号を附して、見出しとしてとりこんでいることに気づいた。そうした語を見出しにしないことで「国語辞書」がつくられ、それはある程度まで継承された。「ある程度まで」というのは、現在刊行されている小型の国語辞書の中には、固有名詞を含むことを「売り」にしているものがあるからだ。現在、「国語辞書」は百科事典的になりつつある。それでも「ある程度まで」は「国語辞書」と「英和辞書」とは(もちろん、そもそも辞書のタイプが異なることはいうまでもないが)、「固有名詞」「学術専門用語」を見出しにしないか、するかによって分かれていた。言い換えれば、「固有名詞・学術専門用語」を見出しにするかしないかという観点によって、「する=英和辞書」「しない=国語辞書」と分かれていたということだ。
さてそこで、「普通語」の辞書を標榜した『言海』はなぜ「あをうきくさ」という見出しをつくったのだろうか。もちろん「あをうきくさ」が身近なもので、日常会話の中でも話題になるようなものだった、という可能性もある。しかし、おそらくそうではなくて、「本草学」すなわち中国からもたらされた「薬用とする植物、動物、鉱物につき、その形態、産地、効能などを研究する」(『日本国語大辞典』見出し「本草学」より)学が、奈良時代以降導入され、江戸時代には全盛をきわめていた、ということによると考える。この「本草学」は明治になると「植物学」などに受け継がれていく。「植物学」は「学術」ととらえられたが、「本草学」は明治期に導入されたいろいろな「学」と同列に考えられなかったのであろう。
早くから「本草学」があったために、「固有名詞」を見出しにしないといいながらも、植物名などが自然に『言海』の見出しに「すべりこんだ」。『日本国語大辞典』は「固有名詞」も「学術専門ノ語」も見出しにしているが、「本草学」でとりあげられていた「物」は見出しになりやすいという「傾向」がありそうに感じる。上で述べてきたようなことも、広い意味合いでの「辞書の系譜的聯関」といえるのではないか、というのが今回述べたかったことだ。