前回、画数の話といえばお決まりのテーマとなった観のある「龍4つ」をはじめとする64画の字について、とくに「龍4つ」の成立と運用の実際に触れてみた。
ちなみに中国では、これを元にしたとも思われるような、さらに画数の多い字(符か)も道書つまり道教の経典に見られはした。『大漢和辞典』でも、一部で目玉のようにも扱われているその64画の字は、漢文の参考書にも転載され、小学生か中学生だった私にも、そんな凄い漢字を載せたという辞書を部屋に置きたいと思わせ、漢字の不可思議な世界に導かせるのに十分な存在であった。
ただ、この字は、『大漢和辞典』が編纂された当初(戦前)は、その原稿に存在さえもしておらず、数奇な運命を経て、ついに掲載されるに至っていたということが色々な出逢いのお陰で最近分かってきた。これは、検証の説明に字数を要するので、別に述べることとしたい。
ほかにも、『当て字・当て読み 漢字表現辞典』には、凄まじい画数の漢字が実際に使用された例を鏤めてみた。
中国語辞典のたぐいで総画索引の末尾に36画として載る「(鼻+囊)」(nang4 鼻がつまる)について、中国からの留学生たちに聞いてみると、語としては知っている者もあるが、漢字はない(有音無字)と思っていた、という。30画を超す字が常用されることは、中国でもまずないようだ。しかし、その中国から進出してきた50画台で擬音語を表したとされる字【図1】を含むラーメンの名「ビアンビアン麺」は、店で画数を当てられれば値引きしてもらえると聞いた。ただ、その字の本場である中国は西安でも、店舗によって掲げられた字体が少しずつ違うので、どの画数が本当なのかは分かりにくい。その字は、かの秦の始皇帝が発明したという立派な伝承まで生まれていて、何やらもっともらしそうだが、元は「日月」「干戈」「馬」「糸」「長」「言」「心」を組み合わせた、やはり64画に達する南方の造字【図2】だったのでは、と思われる。
そして、それらの64画という中国思想によって構築されたと考えられる大きな「壁」を軽々と突破し、70画台ともいえる「字」も日本で登場する。「64」という無意識ではあっても継承されてきたであろう思想的な縛りを意識しなかった日本人ならではの芸当、ともいえようか。その一つが「大一座」を表す江戸時代の戯作に登場する遊びの字であり、一部では有名になっている。さらには、宮沢賢治によって実際に詩の中で記された、正真正銘の76画の造字【図3】も、ファンなどの間では知られており、なおも個人文字ではあろうが載せておいた。この「鏡」を4つ書く字まで入った画引き索引があの辞書に、紙幅などの制約を超えて設けられたならば、末尾において目を驚かせることになったであろう。そんな画数のものがありうるのか、と思われる方は、パラパラとでも眺めて、見つけてみていただけると幸いである。
そして、「雲」を「品」字様に3つ、その下に「龍」を同じく3つ重ねて84画に達するという、幽霊名字とおぼしい「国字」、読みは「たいと」「おとど」などと言われるものについての真相究明など、画数の多い「字」には、まだ解けない謎も残されている。