脚本家の内館牧子さんが、『週刊朝日』(2008.10.24)のエッセーで「かな」という語尾の最近の使い方を批判していました。たとえば、〈正直、ちょっと残念だったかなと思っていますが〉という閣僚の発言に、〈なぜ「ちょっと残念だったと思っている」と断言しないのか〉と、内館さんは言います。なるほど、ここは断言すべきところです。
「かな」は、もともと〈ことばをやわらげて質問したり疑問の気持ちをあらわしたりするときの ことば〉(『三省堂国語辞典 第六版』)です。ところが、べつに質問や疑問の気持ちはなくて、語尾を濁すために使われることがあります。
質問・疑問か、それともぼかしことばか、という境界は見定めにくいため、「かな」のぼかし用法がいつごろからあったかについては、よく分かりません。私が気づいたのは、10年近く前、自分自身がこの使い方をしたからです。
ある人の提案に賛成しようとして、「これが唯一の解決策なのかな、と思います」というような発言をしました。すると、その人は「唯一の解決策ではないというのか?」とかみついたのです。このことがあって、「かな」の使い方を意識するようになりました。
注意していると、意見の最後に「かな」をつける例は、たいへん多く耳にします。
〈〔消費者金融は〕利用者の視点に立った制度設計に改めていく必要があるのかなと思ってます。〉(NHK「ニュース7」2006.4.14)
これだけを聞くと、「べつに制度を改める必要はない」と言っているようにも聞こえます。実際は、「改めていく必要がある」と言っているのです。
自分の気持ちに「かな」を使っている例ともなると、私もさすがに違和感をもちます。
〈〔動物園でキツネザルの親子の〕可愛いシーンが見られると思いますのでね、ぜひともご覧になっていただけたらありがたいかなと思います。〉(NHK「ニュース7」2005.6.4)
このほか、「ちょっと腹が立つかな」「ちょっと許せないのかな」など、自分の気持ちに使う例が多く集まりました。そこで、『三国 第六版』では、次の意味を加えました。
〈〔俗〕考えを えんきょくにあらわすときのことば。「そうしてもらえたら ありがたい―と思います」〉
この例文は、上の「ニュース7」の例をもとにして作ったものです。