芥川龍之介の『その頃の赤門生活』に、獨逸大使「グラアフ・レックスからアルントの詩集を四冊貰」った、という一節がある。帝大の英文科学生時代のようで、第一次大戦直前の頃らしい。贈与の理由は「獨乙語の出来のよかりし為」とされるが、芥川は「喜多床に髪を刈りに行きし時、獨乙語の先生に順を譲」った為だろうと主張する。ともあれ芥川は後にこのアルントを値六円で手放し「爾来星霜を閲すること十余、僕のアルントを知らざることは」当時と変わらずと嘯いているのだが、このアルント選集そのものと推定されるものが、最近みつかった。『クラ独』の礎を築かれた故国松孝二教授が一橋大学に寄贈された凡そ二万冊中に「獨語授業の思い出の為に、1914年3月、獨逸帝国大使」と旧字筆記体で書かれた献辞のある四巻本がそれで、第一巻の一部に芥川の自筆らしい書き込みがある。因みに大使は八月に帰国、七月末をもって帝大を去るのはケーベル「先生」だった。
『芥川龍之介全集』(H10.05)第8巻p. 516 「その頃の赤門生活」
「アルントの詩集を四冊貰えり」:
『芥川龍之介全集』第14巻(1996.12.9発行)のp. 312 にケーベル先生(Raphael von Koebelr 1848-1923)について、〈1893年6月10日から1914年7月31日まで東京帝国大学哲学科教員を務め、西洋哲学、美学、ラテン語、ドイツ語、ドイツ文学を講じた〉とある(注88-13)。また注89-4に、独逸大使レックスについて、〈1914年8月第1次大戦で日本が対独宣戦布告した当時の駐日大使。同月29日国交断絶のため帰国した。〉とある