この年度末に、ベトナムの首都ハノイへ発った。海外旅行は、まず国内の時点で、羽田ならともかく成田までの道程が遠い。特急なのに途中、事故で止まってしまい、1日に1本しかない中国行きの便に乗り遅れさせられたこともある成田エクスプレスは、今回はこの大災害に伴う計画停電の影響で運休したままであるなど、もろもろ心配や不安をかかえた出発だった。
ハノイ(Hà Nội)は漢字では「河内」と書く。河内と書いても無論、大阪府の「かわち」ではなく、「城舗河内」のほうだ(この4字の漢字列が何やらかっこいい)。カタカナで「ハノイ」、ローマ字で「Hanoi」と書くのとはだいぶ印象が異なるが、かつてのベトナムでは地図でもそう記されており、今でも中国語圏ではそれで通用している。旧名はタンロン、漢字では「昇龍」だ。中華料理店の名前にもありがちだが、この「皇城昇龍」は、11世紀初めに、約1000年間の悲願であった中国からの独立を果たして以来、永きにわたって首都となった地で、初めに王が入城した際に、吉祥として空に金の竜が舞ったことから付けられた地名だとされる。
中国がベトナムに攻め入った時に、竜の親子が降りてきてそれを打ち破ったという伝承から「下龍湾」つまりハロン湾という地名も生まれている。中国から独立を果たしたり、中国を撃退したりした話にしては、中国風の伝説であり、中国式の漢語によって国土に命名するところに、ねじれを感じる向きもあろう。そもそもこれらの竜は、中国から伝わったモチーフか、この辺りに古くから広まっていたものなのか、どちらであろう。ともあれ、それもベトナムの常に北に存していた超大国である中国に対する複雑な歴史、文化と国民感情を反映しているもののようだ。
ハノイは、かつて「東京」とも称した。つまり私は、東京(英語でTokyo)から東京(同じくTonkin)へと旅行することになる。トンキンは英語風の発音であって現地の発音はベトナム漢字音でドンキンのほうが近かろう。かのベトナム戦争初期のトンキン(東京)湾事件がまさに起きた地域だが、この入江の名は近年は北部(バクボ)湾に変わっている。
日本では、「北の都は北京、南は南京、さて東は?」というなぞなぞが子供の頃にあり、答えとしてはトンキンはひっかけであったが、あながち間違いではない。「東」をこのように読むことは、世界史の教科書でも「東遊運動」(ドンズー運動。ベトナム語では「風潮東遊」)で、なじみがある人もいることだろう。
何年も前に、ベトナムに出掛けたという人から、「街なかで漢字が使われていた」という証言を耳にした時に、それは現代のベトナム人がベトナム人に読んでもらうために、ベトナム語の文章を表記しているものなのか否か、それを知りたくて尋ねたことがあった。残念ながら、はっきりうかがうことができず、気掛かりとして残った。
ポルトガルやフランスの影響を受け、符号をふんだんに加えたローマ字をクオックグウつまり「国語」と呼ぶ。それに切り替わってから、すでに一世紀以上、正式に漢字を廃止してからでも半世紀以上が流れてはいるが、今は実際にどうなっているか。また、未来を築いていく若い人たちの文字に対する感覚はどのようであるのだろう。
ベトナムの漢字の首都での様子がずっと気に掛かったままだった。今回は、漢字を見掛けたら、できる限りそれを写真に収めて分析しよう、そして初めて対座することとなる国家大学の学生諸氏から、いろいろな意識も聞いてみようと心に決めていた。
他の予定もあって僅か数日しか滞在できなかったが、期待していた以上に知ることの多い日々となった。その結果をこれからしばらく連載し、漢字を捨てたはずの国での「漢字の現在」について考えることにより、日本の漢字についてもその位置を際立たせていきたいと思う。