中国の湖南省南部に伝わる「女文字」(女書)についての意義深い集いに、先日うかがった。その地では、以前、若い娘たちが義理の姉妹となる約束をして、彼女たちの間で通じる独特の表音文字を用いていた。中国語の方言を記し、生活上の苦しみ、別れの辛さなどを女性同士で伝え合ったものだ。漢字に由来するものもあるが、刺繍に適したような菱形の個性的な文字であり、70年以上前に祖母(清朝末期の生まれであろう)から指でその文字を教わり、木の棒で地面に書いて覚えた、という事実上最後の伝承者の女性の肉筆を拝見した。そこに込められた思いの一端に触れられたような気がした。
だいぶ環境は異なるが日本でも、女子には友達と数人のグループを形成する傾向がうかがえる。そこでは独特な文字・表記が発達しがちである。「へ」に「〃」を貫く平仮名は、第54回に触れたように、すでに戦前から女学校で書かれていたそうだ。
二人で一つ、というほど仲良しな様子をお互いに確認し、それを表明するために、
2娘1
と書いて「にこいち」と読ませることが流行していると、愛知の女子学生たちが言う。「娘」を「こ」と読ませるのは意外と古くからあり「訓読み」といえなくもないが、それをうまく取り入れている。人数に合わせて「3娘1」で「さんこいち」というものもあるそうで、プリクラにも記されるとのことだ。
これも以前、少なくとも首都圏辺りでは「02娘01」と、一見不要な「0」が添えられていた。しかも、「0」の中にスラッシュのような斜線(/や\)が書き込まれていて、いかにもコンピューターの時代という趣があった。しかし、局地的に、あるいは全国的に、この「0」はなくなる方向に変わってきたのだろうか。よく書かれるうちに筆記経済が求められた可能性がある。
このようなものに地域差が現実にあるとすると、その原因は何に求められるだろう。こうした表記の発信源の一つであるファッション雑誌『Hana*chu→』(ハナチュー)の売れ行きに、地域によって差があるのだろうか。あるいは、プリクラの機種に地区による違いがあり、初めから搭載されている表記法に違いがあって、機械的な制約が使用表記に影響を与えているのかなど、検証してみたくなってくる。
「バイ2」「いろ2」「毎日2」など、繰り返し記号の働きを代行する「2乗マーク」は、1984年に、歌手の小泉今日子のロゴマークとして現れた「Kyon2」から、一気に若年層やマスメディアに広まったものであった。これに関しては、都内の女子大学の職に就いた時に、その記録の意味も込めてひっそりと文章にしたことがあった。これはその後、「いろ×2」、「いろ②」などと進化を遂げ、近年ではやはりスラッシュ入りの「0」の形で、「いろ02」のように姿を変えていた。
鉛筆やシャープペンシルではなく、インクを使ったペンで字を書いている時、人はどうしても書き間違いを起こす。その字を直す際に、修正テープなどがなかったり、急いでいたりすると、男子はグシャグシャに黒く塗りつぶしがちだ。古来、誤った字を修正する時に行われてきた方法である。二本線などで消す「見せ消ち」のようなことも行われている。
女子は、友達への手紙の類であれば、その形態に装飾性を帯びさせることが多い。まずは線で上から長細めの●(黒丸)を作るように抹消する。ただ、丁寧な円形ではなくギザギザした粗い横線の集合である。ここまでは昔とそう変わらない。その後に、その塗抹の上か下に、まん丸の目玉を2つ描き添えて、ミノムシや毛虫のようなものに仕上げる。そうすると、汚い書き損じも、かわいらしく感じられるようになるそうだ。むろん古書の書蠹(しょと 紙魚:しみ)や虫損(ちゅうそん)など縁のない層だ。それに各々で名前を付けてあげている人たちもいる。○印や×印にさえなかなか名称を定着させない韓国とは、そうした符号類への思い入れ方が違っているのだろう。
このミノムシ風の抹消方法もまた、愛知県辺りでも共通なのだそうだ。ただ、首都圏内でしばしば現れる東京ディズニーランドのミッキーマウスのようにはあまり仕立て上げないようだ。見たことのないカニの姿に仕上げたものなど、独特な形が新鮮に映った。
このように位相表記にも、地域差や時代差がある。アラビア数字や記号など、国語科の規範の希薄な位相的な表記だからこそ、漢字などよりも一層移ろいやすいのであろう。