ベトナムの漢越語には、漢詩文に出てくるような古い漢語が残っている。律令の用語である「戸律」をベトナム式に修飾語を後ろに置き換えた「律戸」という語が民法を指す、というのはさすがに古めかしくなってきたようだが、漢籍に見られる「客桟」(カッキサン)はホテルのことを意味し、会話に普通に出てきていた。
「暫別」(タムビエット)
これは、「さようなら」のことで、何だかすてきな表現だ。日本語でも暫しの別れ、という。また高知では「すぐに」のことを今でも漢語で「暫時」というそうだ。「暫別」は、中国の「再見」と発想が共通する。韓国語で別れの言葉にも使われる「安寧」は、ベトナム語では安全などの意として通じる。中国人から見ても、この「暫別」という漢字の表現はかっこよく見えるのだそうだ。
ベトナムの漢字とそれにまつわる文化を若いベトナムの皆の手で解明してくれるようお願いし、いつの日か日越の漢字にまつわる文化の交流の歴史や、明らかとなった両者の比較を通じて、互いの共通点と相違点を見つけ出し、真の理解につなげることを期して、頂いた花束を手に教室を後にした。
漢字圏では、漢字の筆跡で、ある程度、出身地をうかがうことができる。筆致がそれとなくお国を示してくれるのである。字体の干渉は、国内でもわずかに見られるほどだが、もっと様式的、デザイン的なレベルの差である。
中国の人たちは、鋭い線で毛筆の雰囲気を残したような字形を書くことが多い。それが上手な字なのだそうで、概して筆圧が高そうだ。印刷物の明朝体(宋体)もどの本でも一様であり、どことなくシャープ、重心が腰高のようだ。
日本人に見られる丸みを帯びた手書きの線は、古くは和様に遡り、ナール体はもちろん明朝などの近年のフォントの柔らかみと通底していることがうかがえる。フォントではしばしば懐の広さが喧伝される。勘亭流の書体を中国大陸の人に見せたら、「まっすぐに、正々堂々と書いてほしい」と言われた。好きではないとのこと。日本人が御家流をさらに客で埋まるようになどと言って様式化し、今では江戸趣味を一気に呼び起こす力をもっていることとは無縁の感覚だ。それらしさを大切にして様式美を求めることは日本人らしいところであろうか。
韓国の人たちも、手書きのハングルっぽい、それでいてカクカクした字形の漢字をよく書いてくる。「□」を「○」と書けば、ハングルでは示差特徴を崩し、弁別を不可能とすることになるので、それが一因かとも思われる。書道史を振り返ると、半島では肉太のいかつい書風が好まれた節がある。そうした好みは、以前にも書いたように、もしかしたら書き手の容姿や体質、行動などを含めたいわゆる国民性などとつながっているのかもしれない。
ひな人形も、人件費の安かった韓国や中国で生産したら顔立ちがどこかしら違ってしまったという報道がずいぶん前にあった。世上には、国別などで割り出されたという「平均顔」なる画像が見られるが、なるほど、そうした表面に現れるものは、大元から何らかの差があり、そこにさらに情感にともなう表情、髪型や化粧法、ときには整形の有無、方法などの差が重なってきて、民族の個性のようなものを生み出してくるのかもしれない。各地で街中を飾る看板のフォントにも、そうした違いが反映されているように思えてならない。
ベトナムで見かけた漢字には、どこか書き慣れていないような、ときに震えるような線と、バランスが微妙な構成となっているものが多い。ほとんど楷書しか見当たらないのも特徴だ。ベトナムの人が「ビスケットの欠片のような漢字」を書いた、と何かで読んだが、今でもそう感じることがしばしばあった。第103回の画像のなかの筆文字も、点画の筆さばきはきちんとしているようだが、その結構にどこか漢字圏離れした雰囲気が感じられまいか。東洋趣味の西洋人による漢字を転記した記録などに通じる書風が感じられる。
辞書に印刷された手書き文字にもそれは感じられ、金釘流というと昨今の日本人もあまり引けをとらないが、ベトナム人の位相的な味のある癖字といえなくもない。筆字には、肉太でどっしりしたものがあるが、やはり他国の書風とはどこかが違って見えることがあった。ベトナムにも中国の影響を受けつつも、独自の書道史が形成されていた。朝鮮半島や日本列島でもそれぞれ歴代好まれた書体があり、それらが何かしら現代の各々の地で生きているように感じられる。現代のベトナムでの筆記字形も、それに連なっているようだ。やはり国民性にかかわる好まれる書風というものもあり、それが影響することがあるのだろうか。