ハノイでは、ハングルをしばしば見かけた。朝鮮半島は地理的に遠いが、経済力を高めた韓国の人々が、この地で工業技術の粋を発揮したり、おいしい料理屋を展開したりしているためだ。ハノイの街中で、前回記したように韓国語が、自動車やトラックの車体に記されていたのは単にそれが韓国車だったからであろう。
案内表示や注意書き掲示にもハングルの文章が多かったのは、ベトナム戦争以降の影響もあるのだろうか、韓国からの旅行者が多いためであろう。日本語のそれはなくとも、中国語と韓国語の表示板はよく整備されていた。店頭の看板にも、店名などを表記するために、前回の「大長今」をはじめ、しばしば両国の文字が見られ、国の勢いを感じさせた。飛行場でも、韓国語、中国語の放送が目立ち、掲示でも日本語は圧されていた。
漢字を儒教、仏教などとともに受け入れ、独自に消化しつつも廃止に向かわせた点では、ベトナムと韓国はよく似ている。韓国よりも北朝鮮の方が一層似ている可能性もあるが、情報が乏しいので、今は触れられない。
韓国では、仏教が迫害された時期があり、寺院は街中より山中に多い。そこでも漢字は見かけないと留学生は言い、漢字はあっても一般には皆気付かないとのことだ。漢字は、街中では中国人観光客などのためのもので、韓国語を表記しているとは意識されないそうである。
日本や中国、ベトナムのハノイでは、その点、街中に異空間ながら山門のようなものがあちこちにあり、そこに漢字が見られるようになっている。韓国でも、「東大門」など、歴史ある建造物にはなおも漢字表記が残っているが、ハノイと同様に、日常生活で使用する文字とは対極にある。漢字は難しいもの、中国のものという意識が強いそうだ。
韓国で子供が通う漢字塾は、韓国語表記のためというよりも、中国語や日本語を学習する際に役立ち、ひいては就職につながり、経済力を得られるから、あるいは古典の漢文を理解し、加熱する大学受験に有利になるからなのだと聞く。やはり、ベトナム同様、漢字は現代の現地の言語のための存在ではなくなっているようだ。かといって、ロマンあふれる対象になっているとも聞かない。ハングルは韓国語表記のための合理性や効率性、一元化を追求する志向性と、民族主義、度重なる、直情的とも評される政策転換の結果にも支えられ、唯一絶対の文字と位置づけられている。
ベトナムには、韓国語学習者も多いそうだ。彼らは、漢越語と漢字語との間で、漢字を介さず、それぞれローマ字とハングルで記すものの、発音と意味とに不思議な類似が続出することに興味を持つ人も現れそうなものである。
ハノイの市街では、HYUNDAIと書かれた車が目立つ。ベトナム語にもなっている「現代(ヒエンダイ)」と同じ語、いわゆる同形語だと、認識されているのだろうか。もっとも日本でも、ゲンダイグループからヒュンダイとローマ字読みされるようになってきており、関係の認知は危ういのかもしれない。このダイはかえって古い発音と日本漢字音とで相似する。なお、同形語は直訳のように使えて便利なようだが、語形はすでにずれており、また文中での用法やニュアンスに微差も生じていることがあるため、外国語を使用、通訳・翻訳の際にはなるべく使わないようにしているという人もおいでである。
ベトナム民族博物館では、海外からの旅行者ではなくベトナム人であろうか、うちの次男をニコニコと見ていた若い女性が、目をぱっちりとさせて、「アンニョンハシムニカ」と挨拶をしてくれた。その後、「…アラッソヨ」などと言っていて、訪問客として多い韓国人と間違われたようだ。
ハノイの大学生に、韓国語の説明で「安寧」と板書したら、ベトナム語でアンニンと発音した。日本のアンネイよりも、アンニョンに近く、-ngという末尾の音も互いに保持している。ただ、人名はお互いに漢字を意識せずに、発音で転写するようになっていた。李明博(イ・ミョンバク)大統領と、グエン・ミンチエット(阮明哲)国家主席とで、名前の1字目が同じ漢字であることに思いを及ぼすようなことは、両国間では、いや日本を加えても、まずないのであろう。
ハノイは、漢字がソウルよりも見掛けられたのだが、ソウルに顕著な雰囲気作りのためではなく、あるところにまとめてあったり(古い使用の跡が残っている)、外国人向けに用いられていたりするものがほとんどだった。ソウルでは、漢字は意外と装飾的なものとしては見掛けた。ハノイは、ソウルよりもそうした使用が少なく感じられた。