幼稚園のお遊戯場でもあるホールでのお話の後、お母さんたちが代わる代わる演壇まで寄ってきて下さった。
カタカナって、何と教えればよいのかとのこと。外来語というわけではなくなっているようだし、とご指摘なさる。なるほど擬音語、擬態語も、ひらがな表記も多いし、外来語だって、「タバコ」のほか「たばこ」「煙草」などと揺れも呈している。ニュアンスを表現するための表記も、一定の変容を経ながら今もなお「テキトー」「センセー」など見受けられる。末尾に付く終助詞の「ヨ」「ネ」は、かなりひらがなに戻ったという感じがする。
「か」の「ゝ」がなくなって「カ」とかかな、どういう感覚で覚えていったんだろう、とのこと。私自身は、ひらがなをやっと勉強したのに、さらにカタカナまで覚えないといけないのか、と弱ったような記憶が微かにある。区内の小学1年生は、2学期から漢字とカタカナを同時に習っているのだそうだ。子供によっては大変そうでもないらしいが、世界に冠たる日本語表記の複雑さの洗礼である。
その幼稚園は、ひらがなも特に教えていないという。ポリシーをきちんと持っている良い幼稚園だ。一方、早い時期の漢字教育も、一部では試みられているそうだ。ひらがなのお稽古でも、点線をなぞりなさいという練習で、点線をそのとおりに、点々と切れ切れに書いてしまうような年代だ。自分の名前にどういう漢字があるのかを知らないような子たちが「鳩」「麒麟」「檸檬」などと読み書きするのは、驚異でもある。興味を持ったことを吸収する年代であることは確かだ。義務教育期間に、長野県でだけ行われている「白文帳」による徹底した漢字の反復筆記の宿題とともに、どういうプラス(マイナス?)の教育効果が漢字力だけでなく、その他たとえば記憶力や思考力にまで、後々現れているのか、とても興味深い。
幼稚園の集まりに参加されるお母さんたちは、熱心だ。話題と関係のない私語なんてしない。眠ったりもしない。人生経験が豊富なためか、打てば響き、多くの学生よりも反応がいい。気持ちも若いようで、「才色兼備」を「彩色健美」と書いた女子学生がいた、そこには「爽健美茶」が入っているようだと話すと素直に沸いてくださる。大学生を子にもつ世代に近い。ATOK2011は、誤った表記の「彩色健美」を確定しようとすると、「才色兼備」に直そうとしてくれる。「良妻賢母」を「料裁兼母」と書いた若者がいたとかつて読んだ気もするが、実際に学生からは「両妻賢母」なる誤答も出てくる。
「本気」と書いて、と尋ねると「マジ」。さすが漫画世代で、この表記と同時代を生きている。
「秋桜」も、普通にコスモスと読めるが、山口百恵の曲からと発端を言うと、「へー」と意外がってくださった。昭和のお生まれなので、やはりピンと来るようだ。
「短丈」は、雑誌で見かけますが、何と心の中で呼んでいますか?
心中での発音を尋ねてみた。「たんたけ」「みぢかたけ?」。「ショートたけ」、出た。女子大生といっしょだ、同じですね、というと、「女子大生といっしょだって」と、ク~となって喜んでくださる。
表記の揺れについて、年齢にくっつく「サイ」の表記の差を聞いてみた。「歳」は正式なもので、願書とか年賀状に使うとのこと。「願書」というものが出てくるのは教育熱心さの賜物で、これもさすがだ。こういうところにも位相が現れる。「歳」は皺(シワ)が多そうな形なので、「才」は「シワが少ない年代に使う」という学生の意識を話すと、大笑いが起こった。