漢字の現在

第146回 中学生と「躾」

筆者:
2011年11月18日

「躾」は何と読むでしょうか。この国字が当用漢字に採用されなくなってから、日本の「しつけ」がおかしくなった、という言説を読んだことがある。実際に、たったの1つの文字が社会を激変させる力をもつとしたらそれは大変なことだ。が、全く関連がなかったという証明も難しい。この字がよく使われた室町、江戸期には「(身花)」といった別の造字も行われた。「花」も「美」も、中国の人たちは、会意文字に用いることが稀だったものだ。


「しつけ」と読める生徒がいた。日々の文字生活で自然に覚えたものだろうか。ほかには、

 かお
  からだ

が女子に現れた。後者は、小説や歌詞に出る「躰」、つまり「体」の異体字と混じたものかもしれない。「身体」も関連しそうだ。この2つの読みは、あるいは潜在的な願望が生み出した読みだろうか。

 ハープ

これはなんとも女子らしい。確かになんだか美しい姿が目に浮かぶ。

 モデル

男子だ。女子大生も、ときどきそう答える。エステなんていうのも実際に出てきたことがあって、当て読みながらも、ぴったり当てはまりすぎていて驚いてしまった。

 イケメン

これも男子だ。前回は、やはり男子から「肉体美」という、漢語の熟語による答えもあった。

「月極駐車場」は?

「げっきょく」

月の極(の部分)と説明する女子。「カーブ」という読みも、月の形からの連想なのだろうか。「つきぎめ」と読める人も案外いる。大学生になっても知らない人はいて、全国どこにでもある優良企業だとして、そのチェーン店をもつであろう「会社」への就職活動を始めた者もいたなどと聞く。江戸時代以来の国訓だが、不動産業界、駐車場業界の位相表記となっている。全国一律でないところも面白いが、ともあれ教育現場でではなく、文字生活での恥ずかしい読み間違いの経験とともに、個々人の理解表記となるものだ。

電車が「こんでいる」は?

「混んでいる」ばかり。「込んでいる」だったが、改定された常用漢字表で、やっと「混んでいる」も認められたと伝えると、拍手がわき起こった。この中学生たちによって、ベトナムの教室での大学生たちのことを思い出す。

「卵」と「玉子」に対しては、すでに食用か否かといった区別をすでに覚えている。

年齢(年令)の「歳」と「才」については、「歳」をまだ習っていないようだった。現場の先生も会場においでなので、少しばかり話しづらいが、説明をした。

温泉マークは、どう書く?

教科書では、湯気の形態は「S」だったように思うと何人かが言う。まっすぐに書いた生徒さんもいた。社会科で地図記号として習ってから、年月がそうたっていないためだろうか。最近、JISに合わせて温泉マークも変わったと聞く。JIS漢字(記号類)の掲出字形を根拠にしてしまうとは、本末転倒でおかしなことをするものだと呆れたが、これが漢字を含めた現代の風潮なのかも知れない。温泉マークを上下逆に書いた人もいて、「(くらげ)」とあり、まさか逆さクラゲまで知ってのことだとすれば、まさに畏るべし。

 

「悲観的現実主義者」と書いて「おとな」。TWO-MIX一流の当て字だが、リアルな中2の生徒たちは笑っていた。逆に、「魔術師 なんて読む?」、漫画かライトノベルか歌詞だったのだろうか?

質問には、「パソコンのJISパッド(?)には見たことのある漢字を組み合わせた見たことのない漢字がたくさんありますが、あれは何ですか?」、「漢字はいくつ」あるのか、「どうやったら覚えられるか」といった若い好奇心と受験を控えた焦燥心が感じられるものが混じっていた。「どうして漢字を研究するようになったのか」。君たちの頃、ナゼ、なぜ?と面白かったから、周りも見ずにどんどんと入っていったのだった。そのうちそれを生みだし、使う人間までもが面白くなってきた、というのは後々の変化だ。

「漢字」を「(シ+英)字」と書いている生徒もいた。大学生だって、「くさかんむり」をまず先に大きく書いて「(草冠の中にシが入った漢)(漢)字検定2級です」というような自己紹介をしばしば見る。

教壇からの話の一方通行にならないようにと頑張ると、ただでさえ汗をよくかく私は毎回汗だくになる。話の終了後、男子がカメラを撮りたいという。1枚の写真と一緒に、何かが残ってくれたとしたら、嬉しい。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』
『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。