中学2年生たちには、「宜しく」をきちんと書ける人もいた。しかし、訓読みを含めては習っていないこともあり、やはり「宣」が現れる。「宜しく」と書くと、「あー」。そして、「夜露死苦」は、例によって大勢が書ける。漫画、小説で覚えたそうだ。「高崎で」、という声は、暴走族による落書きを見たということだろうか。かつては壁にスプレーペンキで殴り書きされていたり、「なめ猫」といっしょに写っていたものだ。
「四六四九」と書く生徒もいた。これは、江戸時代に滝沢馬琴が使っていたものだ、と話すと「オー」と喚声が上がる。生徒さんたちが文学史までよく勉強していることに、こちらも驚く。表記には、遊びと実用の境目が現在でも希薄なところがある点も、こうした伝統に実は裏打ちされてのことのようだ。
「うるさい」を「○月○(虫偏の字)い」と書くときに、2つの○にはそれぞれ何が入るでしょうか。明治初期からあるが習うことのない「五月蠅い」よりも、「誤答」が多くなるのは当然ではあろう。
六月蛙い
七月蛙い
確かに田んぼで蛙がやかましい、という。こういう表記に地方色(地域差?)が出てきて、楽しい。
三月虹い
「むしろ爽やかでは?」と微笑んでしまう。
三月蚊い
五月蚊い
八月蚊い
「蚊」は、たしかにいつの季節だって、音だけでなく、存在も行為も煩わしい。我が家では、この11月に入ってからも刺された。
五月蛆い
「ウジ虫」。静かそうだが、煩わしいという本来の意味での「うるさい」に当たるものだろうか。
五月蝦い
11月蝦い
「蝦」を「エビ」と読めてのことだろうか。なぜそれらの月でなのか、疑問は尽きない。
七月蟬い
八月蟬い
やはりセミも登場した。当世の意識の反映なのであろう。さらに、私も見たことのないような新字系の解答も現れた。漢和辞典には見つかるものも含まれようが、たまたまであろう。とくに5月のそれはいやな感じだ。
四月い
五月い
八月い
短い時間なので、どんどん進める。「ふんいき」「ふいんき」、ふだんはどちらを使って話していますか? そしてその漢字は?
「不陰気」
「風因気」 ふいんき
いかにも「ふいんき」という発音らしい漢字が当てられていた。「雰」の字をまだ習っていないようだったから無理もなかろうが、大人でもたまにこうした表記で書く人がいる。さらに、「ふんいき」にも、
「風囲気」
と、あいまいに鼻音化した発音に惑わされたようなものが登場した。また、
「範囲気」
が出現したのも、母音の響きの怪しさに惑わされた結果だろうか。日本人には、この「n i」(んい)という音の連続が、発音しにくいのだ。「店員」「定員」は、大学生でも打ったり書いたりするのに、ごちゃごちゃになることがある。「範囲」の読みを「はいい」と書いた学生もいた。字音として覚えるのではなく、耳で聞こえた印象でとらえてしまうようだ。これらは、若年層を中心にだいぶ広まってきたが、社会一般からは表記としてなかなか容認されそうにない。
改めて発音してもらうと、皆で「ふんいき」と、努めてはっきりと発音する。「変換できない」と男子の声。一部でこの「なぜか変換できない」は、決まり文句となったが、そうした不満や揶揄に配慮し対応することによって、今では「ふいんき」からでも変換されるソフトが現れている。表記や発音の「矯正」へ向かう契機を失わせる可能性もある。