教え子の結婚式が毎月続く。お招(よ)ばれにあずかり、馳せ参じると、懐かしく想い出されることが多く、そして式や宴で幸せそうな新郎新婦の晴れやかな姿を仰ぎ見ると、とても嬉しい気分を分けてもらえる。美しく装った新婦の方が概してしっかりとしているように見えるのはなぜだろう。同時に、娘を嫁がせる父親の気持ちに近い感情を覚える。
以前、私のゼミ内で知り合って、合宿で仲良くなった教え子同士が結婚するとの喜ばしい報告を受けた。そのときには、驚きとともに運命を決定づける契機となったことに、責任と感慨を抱いたものだ(いや、ゼミなどなくとも、赤い糸で結ばれたのかもしれない)。
めでたい席でのスピーチは、忌み言葉などに気を遣いながらも、気の利いたことも言いたい。スピーチは頼まれないと気楽だが、少々リラックスしすぎてしまうようだ。珍にして妙な話にでも、人の良さそうな伯父さんが、意気を感じたとやってきてくださる。世の中、意外とつながっていて、座席には知っている人もたまにいたりする。
「新郎」と「新婦」という語は、日常会話とは離れたものなので、言い間違いが頻発する。プロの司会者であっても、逆に言ってしまっては訂正をしている。「太郎」のロウはまだしも、「新婦(プ)」のプが「夫」「父」と重なる点もそれを助長している。
小学校1年生の時の恩師という女性教諭が、「「あ」をなんてしっかり書けるんだろう、と感動した」と思い起こしておっしゃっている。私とはまさに逆の習熟ぶりで(第136回)、何だかスピーチをさせてもらったことが申し訳なくなってくる。
いずれの式場でも披露宴会場でも、ここは中国でもベトナムでもないので、「囍」は一つも見当たらない。和洋は取り混ぜて行われても、中華風の結婚式というのは、日本人同士ではほとんど選ばれないようだ。むしろ「寿」という字がそこここに目立つが、それも大きく貼り出すことはあまりない。
式場、披露宴会場近くの案内板に書かれた「衣装」は、表外字交じりで「衣裳」となっている。ディズニーランドの公式ホテルの式場でも、やはり「衣裳室」と同様だ。業界ではこの旧表記が根強く、戦後66年経っても「旧」という状態にはなっていない。現在、この業界や一般でも高齢層における位相表記となっている。不動産業界の「月極」など、こうした例は、気にかければいくつも拾うことができよう。
挨拶状の「お慶び」は常用漢字表の表外訓の使用例だが、この方が「お喜び」よりも強く伝わるのだろう。この場面ではやはりすっかり定着している。
「ご高誼」と「ご厚誼」は、挨拶状に両方見られる。耳で聞けば捨象される差だ。文脈によっては、「ご交誼」も加えても良さそうであろう。
讃美歌などの歌詞の表記にも、位相がありそうだ。「アーメン」の「ン」が下付で小さい。その「メン」の下に、縦書き用の閉じ括弧のようなものが添えてあり、音符1つに対応するカタカナが複数並ぶ場合は、カナを小書きにして、その記号を付けるようだ。「イエス」のイエは、「イエ」とも「イェ」ともなっている。
「祈禱」は「祈祷」、なるほど、そのほうが一般に分かりやすいし、人名用漢字にも「祷」も入ったくらいだ。「絆」も結婚式で頂く品にしばしば記されている字だ。これは、赤い糸のほかにも、さまざまな人たちとの繋がりを表現できる漢字として、その場にふさわしいものとなっている。「糸」を「半」分ずつもっているのが「絆」という話も日本らしいものだ。筆字風の書体でも「半」の「ソ」が「ハ」となっていた。ただ、明朝体の字形に倣ったということではなく、「八」のように末広がりのほうがよい、という意識がフォントデザイナーあたりに働いた、なんていうこともあるのだろうか。