漢字の現在

第187回 「囂々」はヒンヒン

筆者:
2012年5月22日

前回から紹介している「漢字伝言ゲーム」では、

 鰯 > ます

と、「鰯」(いわし)が「ます」に変わった班が出た。誤解か、臨時的な当て読みによるのだろう。合宿での自由な空気の中とはいえ、皆真剣に取り組んでいた。

「まゆ」は「眉」が原文だったが、「繭(中の糸虫が虫虫となって出現した字体に対して、知人の名前にでもあって記憶が確かだったのか、違いを指摘する女子あり)」や「繭(中の虫がない)」へとなっても、答えには差し支えが出ないのも面白みがある。漢字の全形を漠然とパターン認識している様子、訓読みは安定している状況がうかがえよう。

 眉 > (字体がやや似る層と解釈して) そう

これは予想だにしない転訛だ。高校までにはまだ「眉」が常用漢字表に入っていなかったことも関係するのだろう。

「顰めて」は、確かに難しめだ。しかし、「潜めて」と変わってしまっても、次の人で「ひそめて」と読まれ、取り戻すことができて大丈夫だった。「密めて」と変わった班も、結局は正解にたどりついた。「まゆをひそめる」を慣用句的に覚えていたことも、役立ったのだろう。

喧々囂々

「喧々囂々」、これは若年層はめったに使わず、メタレベルな言及としてはありがちだが、あえて含めてみた甲斐があった。班ごとに、以下のひらがな表記に変わった、つまりそういう読みがなされた。

 けんけんきき

 けんけんかいかい

 けんけんひんひん

最後のヒンは、「口」が多いので、「品」と見たようだ。一種の類推読み(百姓読み)が行われたのである。その班は、「険々貧々」という悲壮な字面へと進み、やはり「けんけんひんひん」で確定した。カイは「回」、いや「貝」からだろう。

他の班では、

 せんせんきょうきょう

となった。「セン」はいわゆる百姓読み。口偏が取れたわけではないので、旁からの類推でセンになり、その前後に「戦々恐々(戦々兢々)」と結びついたものだろう。「喧伝」もセンデンと読まれることがある。「喧嘩」のケンだ。質問されたときに、ボソボソと「佐々木さんのサ」などと話をしていたので、「踊り字」「繰り返し」は理解されていたのかもしれない。

確認の時間には、ケンケンガクガクという声も挙がった。有名な混淆だ。「喧々囂々」と「侃々諤々」(カンカンガクガク)、語感が似ていて、響きとしてケンケンガクガクのほうがもっともらしくなってしまった。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。