漢字の現在

第195回 消えゆく「箞:ウツボ」

筆者:
2012年6月19日

箞木小学校は、昨年、本山小学校と統合されたが、校名にはこの地のものが採用されたそうだ。奇跡的なことだったが、次の統合ではきっと厳木小学校となり、この明治以来の小学校名は消えてしまうだろうとのこと。この「厳木」もまた「きゅうらぎ」とはなかなか読めないが、「どう書くの」と聞かれれば、これは説明できるという。「厳木」で「きゅうらぎ」も市町村名として唯一の珍しい読みで、平成の大合併なる市町村合併によっても、町名として残したのは賢明だったと思う。「きよら」の変化とされている。「厳」という字にはこの辺りの地で読みが珍しいものがほかにもあり、近くには「厳原」(いずはら)もあった。

そこの在校生たちは、低学年の内は「うつぼ木小学校」、中学年(4年)からは上は「ソ」、下は「(「氾」の右側)」で書くという。郵便では、(この漢字が)「出てこないので」、ひらがな(表記)が多いそうだ。上述の通り、1978年のJIS漢字を制定する過程で、誤写が起きて、幽霊文字となって削除されてしまったことが、今に尾を引いていた。


その女性の校長先生は、この漢字は「読めない、一人も読めない」と嘆かれる。「どんな(ふうに)書くの?」と聞かれても「説明できないから、ひらがなでいいとなる」そうだ。下が「巻」でもないとおっしゃるので、「竹冠に巻き」と言えばいいのにと残念に思ってそう伝えたが、どうなるだろう。少なくとも手書きならば「巻」で十分だし、あるいは活字体だってそうなっていることがある。「轟」も、それを校名に含む小学校では「軣」を正式にしたところだってある。

『ありがとう箞木小学校 ~統合記念「思い出」文集~』(2011.3)も下さった。「『箞』の意味の如く、しなやかに、たくましく生きる箞木っ子が育つ」とあるほか、教育現場や学園ドラマでなじみ深い、例の「人という字は」のフレーズも出ていた。その本文では、「餅」は明朝体でいわゆる許容字体となっているが、この小学校名については、筆字風の書体でも一貫して「箞」といういわゆる康煕字典体で揃えられていた。ただ、ゴシック体・筆字風書体については、その冊子の中盤から、下が「巳」となっていた。字体について研究するほどに、意外とこだわったり目くじらを立てたりするほどのことではないと思えてくる。また、この地名・小学校名には、ふりがななどは冒頭にしかなかった。子どもたちの生き生きとした姿が見えて、ほほえましい。

ここまで来る途中に、孔子を祀る多久聖廟の表示があった。佐賀藩の支藩であった多久藩では儒学が盛んだったそうだ。公民館とバス停の表示板に「荕原」も見かけた。「莇」に基づくものだろうか。図書館でお話を伺えた石橋道秀氏のご著書によるとアザンバルと読む。「原」も九州らしい地域訓だ。きっと、漢字の知識をあれこれ持つ人がいたのだろう。

ウツボつながりで、群馬県には「笂井」という小学校があるというと「へえ」と目を丸くされる。姉妹校にでもなるのはどうかと思いつきを話してみる。大阪の「靱(靭)」小学校はもうすでにないようだが、公園などはある。

「校地内禁煙」の「校地」は辞書にもある一般的な広がりを持つ語なのだろうが、「校区内地図」の「校区」はこれも方言による差をもつ漢語だ。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。