九州北部の方言が残る金八先生の声で、「人という字は二人の人が支え合っている」と言われると、とくに心に染みる。漢字を使った人生訓は、俗解であっても効果が高いのだが、これも日本らしい漢字の変容の例として生徒さんたちに話す。大学ならば、ついでに「変態」のローマ字表記の頭文字から広まったとされる「H」まで、そうした由来の説を知っているかと尋ねてみるところだ。なんとそこでも「二人の人が支え合って……」と述べる答えが男子学生を中心に返ってくるものだ。いったい何の話だろう。ローマ字にまで俗解を波及する行為も、実は日本では江戸時代にはすでに見られた。
さて、3学期の試験も終わった佐賀市内の中学1年生たちは、文法もアクセントも語彙も共通語化が進展していた。芸能人の「はなわ」に関わりのある中学だとか。この姓は「塙」であり、対となるのが茨城辺りの地域文字「圷」である。もとは関東の人らしい。その歌う歌詞に出てくるヘルメットは、なんのことはない自転車に乗っている子だけだった。牛丼の吉田(野ではない)屋もあの歌の後からできたとの話だ。
生徒さんに「ばってん」について聞いてみる。長崎だけではなく、ここでも使われているが、英語の「but then」起源という珍説は知らないようだった。講演会場では、品のあるご婦人が、オランダからと聞いたことがある、と言って下さった。「よかばってん」は「よいけれども」という意味であり、古くは「よからば(よかれば)とて(も)」に遡れる。形容詞のカ語尾もカリ活用の残存と解される。かつて熊本出身の森高千里が「きれいか」と歌ったのは、「立派か」などと同様、類推による固定化した表現だったのだ。
オノマトペは、「どんどんどん」と3回も繰り返すことはなくなっているようで、生徒たちは2回しか言わないそうだ。「降りよる・降っとる(ちょる)」の進行と完了の差はすでに分からなくなっている。
「雨・飴」は東京と同じように区別して発音している。佐賀市内の方が県内の西部地区よりもイントネーションなどで、いわゆる訛りがあるかとも予測していたが、若年層はそんなことはないようだ。
あるのに「ない」という返事も有名だが、これも知らないそうだ。お父さんお母さん、お祖父さんお祖母さんと会話をしていないのかな、などと心配になってきた。私だって子供のころ、富山の祖母の話はまったく分からなかった。「ママ食うけ?」は、兄と意味を考えて、おやつを食べるかと聞いているのだろうという結論になり、喜んで承諾すると早い時間にご飯が準備されて閉口したことがあった。
時間が短いので、これは話さなかったが、水がかかると「アピ」などと九州人は咄嗟に声を出す、と言ってかつて「探偵ナイトスクープ」で取材していた。興味深い言語行動だが、民俗学の研究成果などはあるのだろうか。
生徒さんたちは、「おっこちる」「おっこっちゃった」とは、さすがに言わないそうだ。「川に落ちた」とか言う生徒さん、さすがと思うが、この市内には意外に川が流れていない。
ちょっとした切り傷などのケガをしたときに貼るのは?
カットバン
やっと出てきてくれた。気付かない方言、新しめの方言だ。「絆創膏」に関しては、商品名が各地で普通名詞のようになっている。「カットバン」は誰も社名だとは意識していないと皆がいう。祐徳薬品工業(佐賀県鹿島市)の製品で、いかにも漢字圏の薬品業という雰囲気の残る社名だ。なお、久光製薬もこの地の会社だ。「キズバン」という声も出る。
講演の会場では、ご婦人が、バンソウコウは古かったのかと羞じらっておいでだった。カットバンよりも絆創膏のほうが年配そうだと恥ずかしがるご高齢の方々は、もしかしたら県外から嫁いでいらしたのかもしれない。いや、地元での普及の段階を語って下さった可能性もある。
後で、小学校の校長先生(偶然にも私のいる大学と深いゆかりがあった)、教頭先生は、自分たちの代では、まだ上の世代の方々が「どんどんどん」や「ない」(ハイの意)といった方言を使っていたと教えて下さる。伝統的な方言が消えつつある。30歳前の県庁の職員も、佐賀県の東部・西部を「ひがしめ・にしめ」と呼ぶのは聞いたことがないとのことで、予習した文献の記述と現実の差を実感する。