白い空気は、霞か煤煙か。目がちかちかしてきた。北京は、東京より湿度が低いぶん快適だが、これは少々辛い。
さすがは中国の首都だけあって、ここに手書きの看板や貼り紙がとても少ない。文字の姿がフォントで画一化されている。筆字のようであっても、それさえもフォントによるものがほとんどなのだ。きれいだがなんとも味気ない。ほかにはドット文字も多く目に入る。日本以上に、画一的なデザイン文字の世界にあるのだ。
実は、中国の人たちの筆跡による手書き字形もそういう面がある。台湾の人の手書き字形と容易に区別が付く。既製字だらけの状況は、電子化の進展だけが原因ではなさそうだ。
歩く中で、やっと民間で育まれている異体字を見かけた。
この単独で記された字は、「信」の略字であろう。同じように、おそらく異なる筆跡で、何か所にも使われており、集団と場面とによって出現する位相文字のようだ。
かつて朝鮮では、これが別の字として使われていたという優れた発表を旧知の中国人が行い、使用を実証していた。まだまだ文献には、掘り起こされる日を待っている字が眠っている。
この字体は、中国を挟んでまた国境を越えた、遥か南方のベトナムでは、「儒」の異体字であった。会意風に再構成された異体字であり、通俗的な使用という位相面に着目すればベトナムの俗字、画数を減らした点に着目すればこれも略字といえる。
「佛」を「(イ+天)」とする会意文字は、中国から朝鮮へ、ベトナムへ、日本へと伝播していたが、その字体の応用であろうか。漢字のことをベトナムで「儒字」と呼んだことと発想に類似点も感じる。
北京の街中で、さらに見つけた。
これは、「停」だ。この略字も形声風ではある。手書きでは、やはりあるにはあった。「餐」も日本よりも高頻度に用いられるため、最初の5画しか書かれないものがある。これらにも位相性を感じる。
四人組失脚後に試行されたいわゆる第2次簡体字は、簡体字政策が定着した後のものであり、簡易化も行きすぎであって一般に不評とのことで廃止された。しかし、一度は公的に出回っただけに、一部で根深く定着したようだ。地方出身の人の字かもしれないが、確かに北京市内でも用いられている。
「辦」(ban4)は、中国では辦公室(オフィス)、辦公楼(オフィスビル)などとしてよく使われる字である。簡体字では「力」を点々で挟む4画しかない簡易な形となった。主な箇所を元のまま残す略し方だ。「辯」護、「辮」髪は、中国では逆に「言」「糸」の部分だけが簡体字とされている。これらは不統一のようだが、おのおのの字の使用頻度の多寡に起因する差なのだろう。「辨」(辧)と「瓣」はそのままになっている。
日本では、辯護士も辨理士・辨務官も花瓣も「弁」(元は、かんむりを意味する)で代用され、当用漢字によって公認された。日本では、それ以前にはわりと珍しかった、音通による代用を追認したものであった。「辮髪」にまで「弁」による書き換えを及ぼす書籍もある。
日中ともに、この「辛」で挟む漢字の処理を一括して行うことはできなかったのだ。