中国の方から話を聞いてショックだったのは、規範化されていない字が使われていないか、1年に1度、スーパーにまで検査が入るという話だった。地方でもそうなのだろうか。「規範化された漢字と普通話」を推進するスローガンは、上海などでよく見かけた。前記のようないわゆる第2次簡体字など規範的でない字体を商店で用いてしまうと、罰金を取られてしまうそうなのだ。
現在、文字は、精神面だけでも人を解放するものであると信じたい。社会的な認知を伴えば文字も変化を受け入れられるはずだ。文字が仮に過去のように抑圧の働きに転じるならば、文字に託された生命力は減退していく恐れがあるだろう。
簡体字は、そもそも民間の使用例から選ばれたものであり、完成品ではなかったと思う。しかし、すでに変化を止める力が公的に作動している。いや、人々が変化を求めなくなっているという現状も、中国での簡体字への微修正案に対するパブリックコメントからうかがえた。南方では、学力の問題から正式ではない字体が多い、と囁く声も聞いた。が、やはり首都、お膝元だけに漢字政策の力は強かった。こうしたことも、漢字字体に地域差を生みだしているのだ。
さて、学士院に当たるものが社会科学院とのこと、社会科学と聞くと所属柄親しみを感じるが、少しニュアンスが異なるようだ。
中国には「終身教授」という身分もあるそうだ。韓国の方にいただいた名刺には「研究教授」という少し羨ましそうな肩書きもあった。
中国の「超高教授」のお部屋に案内された。ホテルの部屋が違う、広々としていて高級マンションのようだ。ご著書をいただいた。日本で読んでいたものだが、サインまでいただいてしまった。
「教育部 21世紀優秀人才」「優秀博士論文」などランク付けのようなものが数々あり、また「・・・奨」(賞)という表彰のようなものがたくさんあり、研究課題にも格付けがあるそうで、中国では研究者も苛烈な競争社会にあり大変そうだ。
北京市街地で、食堂を探す。北京といえば北京ダックだが、行ったところには意外と芳しい店がないそうだ。街中で、案内をしてくれる中国人と見かけて入った食堂は、看板に四川、湘風の料理とあった。湘はここでは「湖南」を指す。
トイレは外だった。公衆の建物に入ると、隣でウンウン声がするので、右下を見るとおじさんがしゃがんでいる。これがいわゆるニイハオトイレか。中文にいた学生時代に噂に聞いていたが、実見したのは初めてかもしれない。北京でも、とびっくりした。北京語言大学に入ったときも、図書館のそれはこれに近かった。日本で子供のころに、公園の塀を乗り越えて裏の敷地に忍び込んだときに、昔の縄付きの汲み取り式便所を見たときを思い出す。
店に戻ると、香ばしく焼けたパリパリした皮を食べる。肉がもったいないと思っていたが、蒸した肉もここではいただけた。とても食べきれない。鳥の姿焼きは、少し目に厳しい。
メニューには、
豆腐脳
とある。これは脳のようではないが、脳にも見える。比喩だ。次のは、さらに凄い。
撒尿牛丸
尿を含まない食品にあえて「尿」を持ち込んでいる。日本では、化粧品売り場の「尿素」の「尿」という字さえも気になるという人がいる。大陸はストレート、というばかりではなく、 食べ物の比喩にまで意外なものを持ち込むのだ。