以前、勤めていた大学の学科は、すでに改編されてなくなってしまった。さらに近年、女子大学から共学へと変わった。その大学を定年で退職された先生から、お葉書を頂いた。近世期の古文書を研究され、翻刻し刊行もなさっていらした日本史がご専門の先生であった。かつて、時に車内などでご一緒する機会に恵まれ、私には読めないような崩し方についても、翻字の仕方などを親しくお教え下さった方であった。
お便りに、秋田のとある日記をご覧になっていたところ、「(風中は雪)」と書いて、吹雪を表す造字があったと教えて下さったのである。今年上梓した小著『方言漢字』に目をお止め下さっていて、そこに触れた秋田などの「轌」(そり)の字と共通する、雪国で必要とされる造字であったと思えば、方言漢字の裾野は歴(林を抜いてあるのはさすが、位相文字である)史的にも考察の対象となる、とお考えになったとのことで、とてもありがたく拝見した。
この「」といういかにも日本的な国字は、以前に『国字の位相と展開』においてまとめて述べたように、江戸時代には秋田藩の記録で使われていたものとは認識できていた。しかし、その日記にも出てくるということは寡聞にして知らなかった。そして、そこでは「(颱台は雪)」という形でも使われている、ともご指摘くださった。この字体は合字になった初めの段階であろうか。本当にありがたい。この日記はすでに活字本で9冊も刊行されているようだ。原物を見てみたいという気持ちがはやってくる。
そもそも私一人が漢字で記されたすべての文献を目にできるはずがない。それに近視と乱視に遠視(老眼?)まで入ってきたようだ。ただ、先づ隗より始めよ 、というかの気持ちで事に当たっているところだ。あれがない、これもない、と責める声だってどこかから出てきてもおかしくない(そういうものが仮にあると、それはそれで調査研究を強めるエネルギーになるのだが)。
さすがは学識が深く、懐もまた広い先達には尊敬するばかりであった。偶然、その日記でお見かけになったとおっしゃるのもまさにご謙遜であろう。そういう史料に普段から目を通されればこその発見である。内容を読み解くだけでなく、そこに立ち止まるための眼力ももちろんお持ちでいらっしゃる。励ましのための過分なおことばには、もっと頑張らなくてはと気持ちを新たにさせていただいた。私も定年後には、このような敬服すべき人になっていられるだろうか、少し心配になる。
吹雪が吹き荒れ、その語をよく使う当地では、吹雪は重要にして不可欠な概念である。そして日記ではその気象現象に関する筆記の機会の多さ、使用頻度の高さから、ついに合字を生み出し、あるいは選び出して、それが地元の人々によって共有されるように習慣化していったのだろう。この字は古くは連歌に現れたものだった。地方への連歌の伝播との関係など、巨視と微視との双方の観点から、興味が尽きない。
全国的に見られる「木枯」は、「凩」という国字を中世期に生みだし、これは各地で使われるようになった。よく使うものが当事者によって簡易化されるのは、生活用品、略語や頭字語、そして略字に限ったことではなかったのである。
愛媛のご高齢の方からも、新聞での小著の紹介でお見知りくださったとのことで、「峪」を「がけ」と読ませる字を用いた愛媛の名字と、「肥沼」をコエヌマではなくコイヌマと読ませる名字について、お葉書をいただいた。
こういう一つ一つの実例の情報が実にありがたい。