北京で、人に肩がぶつかったりすると、「没関係」(メイクアンシ)、「没事児」(メイシャール)とサッと言うのを聞くと、かっこよく感じる。
韓国では、「クェンチャナヨ」というが、実は部分的に語源を等しくする。バイリンガルの案内をしてくれた彼女は、互いを別個に頭の中に入れていて、たどると「関」の字音に行き着くというつながりを知らなかったそうだ。北では、「イロプタ」(事がない)という直訳のような句があり、こちらの朝鮮族でも使用が生じているそうだ。
案内をしてくれている韓国系中国人の彼女は、商店が並ぶ「琉璃厰」(リウリーチャン)について、「琉璃」(liu2li4)はガラスではないという。ガラスは「ボーリ」(玻璃)でしょ、と言う。リウリーは中国語では宝玉も指し、そのとおりなのだが、元をたどってみよう。「韓国語では、ガラスを「ユリ」っていうでしょう、それと同じ漢字だった(「瑠・琉」は通じた)」というと、そうか、韓国語のそれが、この漢字とは知らなかった、と意外がっていた。
他のバイリンガルの人に、「餅(もち)」と「餅(bing3)」とを別々に絵に描いてもらうと、日本風の糯米を焼いたおもちないし鏡もち、お供えもちと、麦でできた薄くて円いもち(ビン)とが現れる。当人も、頭の中がどうなっているのかと驚く。「絵に描いた餅」「画餅」ということばのイメージは、『漢字の現在』にまとめたように日中韓でまるで異なっているのであり、それが脳裡で同居(別居というべきか)しているのである。
中国の人たちの漢字の書き方を見ていると、筆順は意外と自己流のばあいが多々ある。日本でも、研究者であってもそれは見られるのだが、意外な筆順でさらっと書くところが面白い。また、「必」の字では、中国からの留学生は、
「心」を書いてから「ノ」と習った。
「心」の最後の「丶」の前に「ノ」と習った。
など、分かれる。中国は広大なので、何事も経験談がまちまちになるものなのだが、これは規範化が行われる前の状況を反映しているのだろう。筆順については、国家の標準の前に、北京市が標準を示していたくらいで、公的とされた筆順や習慣的な筆順には、地域差もあった可能性すらある。こうした点に、日本とは違った意味での多様性が見いだせよう。
「鳥」は、「ノ」「フはねる」と書き始めた。聞けば、さすが、崩し字の順だという。今では規範は国家が作っているが、どうなっていたろうか。
私は、日本の「鳥」の影響で、簡体字だって「ノ」「|」と書き上げていく。これは今では日本式なのかもしれない。
「門」の繁体字も、中国人の筆跡とすぐに分かる。「ヨ」から書くかどうかはともかく、とくに右がわを「乙」から書いて、続いて中の「一」を埋めて「|」で仕上げるようなのだ()。「乙」のような「匚」の形状と、右上が切れている字形は、日本ではかなり稀である。
「門」の簡体字も、「|」から「丶」へと書いている。実は私も大学1年生以来そうだった。新たに策定された国家による筆順規範では、点からとなった。当時の教え方は、違ったのかもしれない。彼女は、子供の時、何度もやったが(練習したが)、と述べた。
「長」の簡体字も草書に由来する2筆で書けそうなもので、中国語の時間に習って感激したものであるが、私はこうと、「一」から書いて、「|」を書いてはね、最後に大きく「く」と、独特だった。それが書きやすい、速く書けるからという。崩し字からできた簡体字に、さらに新しい字形が生じていた。