難しい法廷用語をやさしくする取り組みの中で、あらためて漢字の力を思い知らされました。複雑な概念を一つの単語に封じ込めてしまう。まるで符丁だと言われるのももっともなことです。専門知識という合鍵を持っている人だけが中身を知ることができるのです。
裁判員制度では、一般の人が法廷内のやりとり(言ったこと、示されたこと)だけから判断します。いかに的確に誰にも伝わるように、「話しことば」が使われたかが、判断を左右することになります。用語自体がやさしいこと、同時に、伝え方もやさしく聞きやすいことが大切です。符丁では通用しません。
例えば、「焼損」という用語の検討は興味深いものでした。説明文は結局「建造物の全部又は一部が焼けて壊れること」と落ち着きました。これだけを見ると単なる辞書的説明にも見えますが、このことばが出てくるまでの前提条件が様々にあって、少し深入りするとかえって分かりにくくなってしまうからでした。
そもそも「しょうそん」と聞いて漢字を思い浮かべることは難しいでしょう。また、「ぜんぶまたはいちぶ」ならば「どんな場合も」ではないのかなどとも考えてしまいます。しかも燃え方をめぐって、既遂と未遂の分かれ目はどこか、考え方が二つあるというのです。それによって罪の質が違います。法律に疎い私などには混乱の極みです。ことばそのもので戸惑い、判断の場面では立ち尽くすしかなさそうです。実際には、こみ入ったところは話して説明することで補うことになるのでしょう。
仮に、法律の専門家が私のような一般人に伝える場面を思い浮かべてみましょう。
「しょうそんとは……。くわしくいうとこれにはかんがえかたがふたつあって……。ひとつは……もうひとつは……。こんかいのじけんでは……。したがって……なのです。ようくかんがえてはんだんしてください。」という具合に口頭(つまり、話しことば)の説明が続いていくことになります。
耳から入る「話しことば」は平仮名で示したように「音」の連なりです。このことばは語句だけではなく、音のまとまり方や、音の高低、速度、間合い、明瞭度などで意味を明確化して伝えていきます。
例のように、様々な要素を含んだ話が、いくつもの分岐点を越えて時に方向を変えながら進んでいく場合は、それなりの表現が必要になります。単なる音の連なりではなく、意味合いが分かるようメリハリつけて伝えるのです。具体的には、話の文脈が変われば音(高低や速度、質など)も切り替わるということです。私どもがアナウンサーの指導にあたる時は「音でできていることば」の特性を知って扱おう、と言っています。
ちゃんと中身があるのに分かりにくい話し方は日常的に経験します。裁判員には限られた時間の中で的確に分かってもらわなければなりません。一般の人にとって用語をやさしく、話を聞きやすく、この2つがそろってこそ、法律家は適切な判断材料を提供できる環境を整えたと言えるのでしょう。今、その一歩目を踏み出したところです。