法律学の初学者は、まず法律用語の定義を頭にたたき込まなければならない。殺人罪のように“人の死亡”という結果を含めて犯罪とされる罪を「結果犯」と呼ぶのだが、たとえばこれは「構成要件の要素として外界における一定の変動すなわち結果の発生を必要とする犯罪」(『新版刑法講義総論』大谷實著)と説明される。従来の法廷は、裁判官・検察官・弁護人という三者が、このような専門用語と格闘して身につけた短い言葉を駆使して、互いに理解できる意味を込め、論陣を張るものだった。
裁判員裁判は、市民に分かりやすい言葉で審理を行うことが必須である。ドラスティックに変わる新しい法廷のため、新しい言葉を探し出すには、専門用語でマイ・ワールドを作っている者同士が議論をしても限界がある。そこで2004年8月に日弁連が立ち上げた「法廷用語の日常語化に関するプロジェクトチーム」(以下PT)では、委員の半数を、言語学者・法言語学者・社会心理学者・アナウンサー・テレビ解説委員などの言葉のプロになっていただいた。
初回、複数の有識者委員から市民の理解度を調査すべきだという意見が出され、そのような発想のなかった法律家委員は驚いた。たしかに現状把握があってこそ求められる方向性は明確になり、より良い検討ができる。専門の社会心理学者から簡易な調査方法の提案があり、各委員が自分の職場などで聴き取り調査を行うことからスタートした。市民の理解状況を把握でき有意義だったそのまとめは、『裁判員時代の法廷用語』に収録されている。
PTは月1回計37回の会議を重ねて最終報告書をまとめた。手探りで始まった会議だったが、欠席者は極めて少なく、議論は実に活発で楽しいものだった。冒頭の調査に快く協力してくださるほどの各委員の意欲と強い関心によってこのPTはささえられたのだと、当初を思い返して実感している。
各語の検討では、有識者委員から説明例のたたき台を出してもらい、国語辞典・法律用語辞典などの説明例の一覧を参考資料に、法律家(刑事法学者と弁護士)側が随時法律解説を行って議論を進めた。大変だったのは、法律的な解釈が分かれるものが少なからずあることだ。判例と学説の違いだけでなく学説も複数あり、検察と弁護の立場で意見が異なることもある。しかし市民向けには、統一的な説明をしなければならない。時に解釈をめぐって法律家委員同士、専門用語乱れ飛ぶ議論になる。有識者委員は半ば唖然としながらこれを眺め、議論が一段落すると、「今の議論はこういうことなのです」と日常語で解説が続くことになる。このため中途から、弁護士委員が検討用語の解説レジメを準備し、冒頭に“ミニ刑事法講義”をすることにした。有識者委員の方たちは辛抱強く法律を勉強して咀嚼(そしゃく)してくださった。今後裁判員となる多くの市民が困難を抱えないよう、将来の裁判員に代わって、その苦労を背負っていただいたのだと思っている。
法律家側からは“より正確に”、言葉のプロからは“より分かりやすく”という観点で議論を重ね、説明例は洗練されていった。手探りで壁伝いに進みながら、迷路の出口に至る思いであった。膨大な議論の中からそれぞれの言葉の持つ問題点をひろいあげ、法律家のための解説として使用上の注意をまとめることもできた。これを参考に、各法律家が自分なりの表現で説明することもできる。
専門の壁を乗り越える作業を終え、苦労は実は楽しみであったと、PTメンバーそれぞれが受け止めてくださっているような気がする。全ての分野で高度の専門化が進んでいるが、大多数の非専門家が無知のままで判断を余儀なくされる社会は望ましいものではない。様々な分野で、専門用語を分かりやすく伝えるニーズは高い。専門家と非専門家が協同する作業は、実は結構楽しいものであることをお伝えして、このような動きが広がることを期待したい。