(前回の追記)
先日「軽犯罪」を引いてみました。犯罪に軽が付くと、それは一体どういう犯罪なのかと軽い興味がありました。
八版の語釈です。
風呂場・便所ののぞき見は、ぜひ止めて欲しい。語釈の「ぜひ」の使い方、上手いです。「絶対」ではないところに味がある。
で、「軽犯罪は風呂場・便所ののぞき見、無許可の張紙だけなのか?」と、疑問を持つことは大事です。ぜひ、これまでの版にも当ってみましょう。
初版から四版までの語釈です。
四版の時代も、風呂場・便所ののぞき見、無許可張紙は軽犯罪だったと思う。五版から急に軽犯罪になったわけではないでしょう。でも、初版(昭和47年1月24日)から四版(平成元年11月10日)の間では、軽犯罪の代表は「映画館内の喫煙」だったのです。映画館に行く人の数も、喫煙者の数も多かったことでしょう。「あっ!」と思った変化でした。
「鬼」の用例に「鬼婆」があったのですが、「新解さん見守り人」から、「鬼爺は、いないのですね」と、優しい口調で大変鋭いご指摘をいただきました。
そうです。誰も嫌な爺に「この鬼爺め!」などとは言わない。なぜ? それは、最初から鬼には爺の気配が濃厚だから、あえて「鬼爺」と言う必要がないからでは、ありませんか? 子鬼は、なんとなく像をつかみやすい。「鬼女」は、「般若」として存在が別にある。そのため、爺としてイメージされやすい「鬼」に、「いやいや、女だって同じように鬼婆は成立するよ」と、この言葉があるのでしょう。鬼婆って、若い頃は何だったのかな、と考えました。鬼嫁かもしれません。この女の人、ずっと鬼なのです。困りました。
(つづく)