他人に迎合しない行成は、清少納言以外の女房たちからは敬遠されがちです。若い女房たちが、「行成様は本当にお付き合いしにくいこと。他の男性のように歌を歌って楽しんだりもせず、ちっとも面白くないわ」などと非難するのを聞いて、他の女房たちには声もかけません。そして、清少納言に向かって次のように言うのです。
まろは、目はたたざまにつき、眉は額ざまに生ひあがり、鼻は横ざまなりとも、ただ口つき愛敬づき、頤(おとがひ)の下、頸(くび)清げに、声にくからざらむ人のみ思はしかるべき。
(ぼくは、目は縦向きに付き、眉は額の方に生え上がり、鼻は横向きであっても、ただ口元が魅力的で、あごの下や首がきれいで、声の感じのよい人だけに心ひかれるようだ。)
これは行成の口説き文句です。ということは、この描写のどこかに清少納言の容貌について言っている部分があると思われます。
この時、清少納言はまだ、行成に顔を見せるほど気を許してはいません。前半の目鼻立ちについては、行成が単に当時の美の基準と反対のことを言っているのだと考えます。縦向きについた大きな目と、額の方に生えあがった大胆な眉の造作は、平安美人とは程遠い顔立ちです。
それに対して、口元と声の魅力を褒める後半は、清少納言について言っていると考えてもよさそうです。貴族女性は普段、扇で顔を隠していますから,顔の中心部分は見えません。それで、扇の下から見える口元やあご、首、そしていつも聞いている声を取り上げて褒めたのです。ちゃんと確認したものだけを褒める、行成らしい口説き文句です。清少納言も悪い気はしなかったでしょう。ただ、これでは、清少納言の顔立ちの全体像がいっこうに浮かばないのが残念です。
さて、行成は中宮定子への取次役として、常に清少納言を呼び出していました。自室に下がっているときも御前まで上らせ、里下がりしているときには自ら里に足を運んでまで取次を申し入れます。清少納言が何を言っても、まったく聞く耳を持ちません。年上の宮仕え人として、清少納言が諭そうとしているうちに言い争いになり、行成が、「本当に、にくらしくなった。では、顔を見せるなよ」と言って、絶交状態になってしまいます。
二人の交渉再開のきっかけは、仲むつまじく過ごす天皇と定子の姿でした。ある朝、一条天皇と連れ立って登場した定子に見とれていた清少納言の寝起きの顔を、行成が偶然見てしまい、それから後は、清少納言の部屋の簾をくぐって中に体を差し入れなどして話をするようになったと、書かれます。ちなみに簾の中に体半分を差し入れて話をする男性と、簾の中の女性の関係はかなり親しいと言えますが、それ以上の関係は推し量れません。
ところで、この章段で作者が書きたかったことは、行成との交流の他にもう一つあったという見方ができます。行成と清少納言の絶交は、定子の久々の内裏参入を示す場面で解決していますが、この時期の定子の内裏参入は、世間から注目される事件でした。作者はその定子の姿を、行成と清少納言の交流を利用して描いたと見ることができると思われます。行成は、定子と一条天皇同席の場に肯定的な態度で伺候する人物として、この場面に最もふさわしかったのです。