読書量が増えた中学時代の私が、実用辞典に不足を感じるようになった理由としては、仮名遣いの問題などよりも、まずは収録語数の問題を挙げるべきでした。何しろ、本には知らないことば、むずかしいことばが続々と出てくるのですから。
もっとも、実用辞典には、一般に思われている以上に「むずかしいことば」が多く載っているということは、改めて強調しておきます。
たとえば、当時愛読していた北杜夫作品には、〈あまつさえ〉〈有体(ありてい)にいって〉〈一体どういう訳の訳柄(わけがら)か〉など、不思議なことばがよく出てきました。これらは、実用辞典の『広辞典』(当時の版)にもちゃんと載っていました。そのころ背伸びをして使いたがった「常套」「塵労」「杜撰」などという熟語も、みな載っていました。
前にも述べたとおり、実用辞典は、国語のテストに出てきそうな常識的なことばは収録してあります。大学入試の国語にも十分対応できるものです。
けれども、一方、「むずかしくないことば」はけっこう省いてあります。俗語などを載せないことは述べましたが、もう少しふつうのことばでも載せないものがあります。
〈〔私は船に飛んでくる鳥などについて〕一々口をだし、船長にとってはまことに小うるさい存在となった。〉(北杜夫『どくとるマンボウ航海記』中公文庫 p.53)
〈冬であるのと時間が遅いため、〔動物園の〕うそ寒い園内はがらんとして人影はほとんど見当らない。〉(同 p.136)
「小うるさい」「うそ寒い」は、書き取りのテストには出てきません。したがって(?)、実用辞典にも載っていません。でも、改めて意味を説明せよと言われると、困る人も多いのではないでしょうか。
こういった繊細で微妙なことばまで広く載せているのは、やはり国語辞典です。語彙力を急速に伸ばしつつあった年ごろの私にとって、国語のテストに出ようが出まいが、どんなことばでもすぐに調べられる辞書があることは、死活的に重要でした。
私は、とにかく語数の多い国語辞典を探し求めました。『旺文社国語辞典』は、この点でも理想的でした。小型辞書としては当時最大級の7万6000語を収録していたのです。
語数で選ぶのもいいけれど
国語辞典では、収録語数が多いことは大きなセールスポイントになります。当時の私に限らず、「何万語載っているか」を基準に辞書を選ぶ人は多いはずです。辞書同士の比較に使える具体的な数字が、収録語数ぐらいしかないということもあります。
一般に、国語辞典は、収録語数によって次の3つに分類されます(異論もあります)。
- 大型――およそ20万語以上のもの。分厚くて重い、ダンベルの代わりになるような辞書。日本最大の『日本国語大辞典』(小学館)は実に50万語を擁しています。
- 中型――およそ10万語以上のもの。
- 小型――それ未満のもの(6万~8万語程度のものが多い)。片手で持ち運びができ、読書や原稿執筆の際、何度も繰り返し引くのに向いています。
このような数字を見ると、重いのをいとわないならば大型・中型辞書、日常的に使うならば小型辞書で、そのうちできるだけ語数の多いものを選べばいいように思われます。事実、私もそう思って、小型辞書のうちでも語数の多かった(しかも旧仮名遣いを添えていた)『旺文社』を選んだのでした。
この選び方は、必ずしも悪いとは言えないでしょう。常識的に考えて、収録語数が多ければ、求めることばが載っている確率はそれだけ高くなる理屈です。
ただし、A辞典がB辞典よりも収録語数が多いからといって、B辞典のことばがすべてA辞典に含まれているわけではないことには注意が必要です。B辞典のほうにしかない「独自項目」は、案外多いのです。
試しに、小型の『岩波国語辞典』(第七版、6万5000語)の「お」の部を開いて、大型の『広辞苑』(第六版、岩波書店、約24万語)と比べてみます。すると、「追い越し」「生い育つ」「追い抜かす」「追い抜き」「横風」「覆い被せる」……など、『岩波』のほうにしかない独自項目がいくつも出てきます。
なかでも、「追い抜かす」は、「追い抜く」の意味で使われ始めたことばで、まだ他の辞書には見かけません。『岩波』ならではのきらっと光る項目と言えます。
中学生の私は、国語辞典ごとのこういった個性を意識することはありませんでした。何はともあれ、8万語に近い語数をもつ国語辞典を得たということで、大満足でした。