国語辞典入門

第12回 さきがけとなった『三省堂小学国語辞典』―小学生用国語辞典 大人用との違い

筆者:
2010年3月31日

今や国語辞典の売り上げを牽引する勢いの学習国語辞典(学習辞典)ですが、これらのさきがけとなったのはどんな辞書だったのか、まず触れておきます。

小学生用の本格的な学習辞典は、1959年の『三省堂小学国語辞典』に始まります。それ以前にも皆無ではなかったものの、〈おとなの辞典の焼き直しとも思われるものが少なくありません〉(同書冒頭)という状況だったようです。

近影イラスト

『三省堂小学』の初版は、体裁は今の学習辞典とそう変わりませんが、紙がやや厚く、収録語数は1万7000語しかありませんでした。今の学習辞典の半分ほどです。それでも、そのユニークさは、今の目から見ても著しいものがあります。

一番の特色は、一般向けの国語辞典に載っていなくても、日常よく見聞きすることばは、積極的に載せているところです。たとえば、「それもそうだ」「それもそのはず」などという項目が『三省堂小学』にはありました。よく使う言い回しなのに、一般の多くの辞書にはいまだに載っていません。辞書の作り手にとっても、学ぶところの多い辞書です。

当然のことながら、この辞書は、後に続く学習辞典に大きな影響を与えました。その様子は、現在の学習辞典の項目からもうかがい知ることができます。

たとえば、現在の学習辞典には、「言い合わせたように」という項目が載っています。「言い合わせたように、みんなが反対した」などと用いる言い回しです。この項目は、私が見たところ、6種の学習辞典に採用されていますが、一般の国語辞典にはまず見当たりません(「言い合わせる」ならあります)。いわば、学習辞典特有の項目です。

不思議な感じがします。「言い合わせたように」は、今ではやや古さの感じられる表現です。用例の数で言えば、むしろ「申し合わせたように」などのほうが、ずっと多いのです。教科書にも「言い合わせたように」は出てきません。したがって、現代の辞書を編集する時、項目として選ばれる優先順位は高くないはずです。

そんなことばが、多くの学習辞典に出てくるのはなぜか、と追究していくと、『三省堂小学』の影響力に行き着きます。同書には「言い合わせたように」があります。現在に至るまでの学習辞典は、その項目を大いに参考にしているものと考えられます。

前例踏襲、横並び意識はないか

もうひとつ例を挙げます。「素知らぬ顔」という言い方は、一般向けの辞書では、「素知らぬ」の用例として示されます。ところが、学習辞典では、「素知らぬ顔」で1つの項目としているものが7種あります。子どもになじみ深い言い方だからとも言えますが、「素知らぬふり」などもあるので、「素知らぬ」という項目を立てたほうがいいはずです。

そこで、『三省堂小学』を見ると、「素知らぬ顔」の項目があります。ここでもまた、後続の辞書がこの項目を参考にしたことがうかがわれます。

このような例から、『三省堂小学』がいかにリスペクト(尊敬)されているかが分かります。もっとも、『三省堂小学』そのものがリスペクトされているのか、それとも、それを参照した辞書がさらに別の辞書に参照されているのかは、微妙なところです。

ここで目を転じて、現代の学習辞典同士を比べてみると、ある辞書の内容を、他の辞書が取り入れているとみられる例は、ときどきあります。たとえば、出版社の異なるA辞典とB辞典の「現在」という項目を比べると、よく似ています(書式を改めて示します)。



〈1 今。「兄は、―旅行中です」2 その時。「二時―の気温は三〇度です」〉(A辞典)

〈1 今。「父は―旅行中です」2 (時を表すことばのあとにつけて)その時。「午後二時―の気温は十度です」〉(B辞典)

例文までがほとんど同じです。偶然には起こりにくいことであり、一方が他方を参考にしたものと考えられます。だとしても、例文の細部までを参考にする必要はないはずですから、むしろ、無批判な引き写しと見られてもやむをえないでしょう。

複数の辞書の記述が似通っている場合、どちらが先に記したかは、前の版や、前身の辞書にまでさかのぼらなければ分かりません。不用意な断定は控えるべきです。ただ、辞書によっては、気になる記述の目立つものがあるというのが、私の正直な感想です。

『三省堂小学』以来、学習辞典は、先行辞書のすぐれた点を取り入れたり、それまでにない点をつけ加えたりして、進歩してきました。一方で、安易な前例踏襲や、「ほかの辞書もそうだから」という横並び意識の入りこんだ部分はないか――というのは疑いすぎでしょうか。ほかの辞書はどうあれ、自分はこうする、という気概が、『三省堂小学』にはありました。この気概は、辞書作りの上で忘れてはならないと、自戒をこめて思います。

筆者プロフィール

飯間 浩明 ( いいま・ひろあき)

早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。

URL:ことばをめぐるひとりごと(//www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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編集部から

これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。
2010年 1月 6日