学習国語辞典(学習辞典)の中には、例文を一番最初に持ってくるという、独特の編集方法をとるものがあります。『くもんの学習国語辞典』(くもん出版)、『小学新国語辞典』(光村教育図書)がそうです。たとえば、「うすうす」を引くと、こんな具合です。
〈うすうす【薄薄】(例文)そのことは薄薄知っている。(意味)はっきりとではないが、ぼんやりとわかっているようす。〉(くもん)
〈うすうす【薄薄】[例]友達の気持ちにはうすうす気づいていた。 [意味]はっきりしないが、なんとなく。かすかに。《参考》ふつう、かな書き。〉(小学新国語)
私は、これはなかなかおもしろい試みだと思います。ことばの意味を知るということは、同時に、ことばの使い方を知ることでもあります。とすれば、使い方を示す例文を重視して、前に持ってくるという行き方は、たしかに理屈に合っています。
ただし、引くたびにまごつくことも事実です。「例文」「例」とは表示してあるものの、一般の辞書に慣れた目には、その例文が語釈のように見えます。いちいち、「そうだ、この辞書は最初に例文が来るんだっけ」と、ルールを思い出さなければなりません。
しかも、中には例文のない項目もあって、その場合はすぐに語釈になるのですから、混乱します。『くもん』で「薄曇り」を引くと、〈空全体にうすい雲がかかって……〉とあるので、これが例文かと思うと、〈……かかっていること。また、そのような天気。〉と続き、語釈だったことに気づきます。もう少し、使い勝手に配慮がほしいところです。
このことは、デザインをくふうすれば解決できるはずです。『くもん』も『小学新国語』も、「例文」「例」と「意味」の表示が同じデザインなので、ほとんど区別がつきません。それぞれの違いが際だつようにすればいいのです。例文を「 」に入れるだけでも、だいぶ違います。改善案の一例を示します。
うすうす【薄薄】「そのことは薄薄知っている。」▽意味 はっきりとではないが、ぼんやりとわかっているようす。
かなり読みやすくなったと思いますが、どうでしょうか。例文が最初にあるのがよくないのではなく、例文と語釈とがまぎらわしいのがよくないのです。
見慣れない表記、不適切な例文
例文については、ほかにも注目したい点があります。ひとつは、表記の問題です。「うすうす」は、見出しでは「薄薄」とあります。一方、例文では「薄薄」「薄々」「うすうす」など、いろいろです。これでは、どの表記に従えばいいのか分かりません。
ふつう、「薄薄」と漢字を重ねることは少なく、「薄々」と書きます。「薄薄」式の辞書の表記には疑問を呈する発言もあります(小駒勝美氏)。そもそも、「うすうす」のような副詞は、ひらがなで書くのが標準的です。そこで、見出しには「うすうす・薄々」の2つを掲げ、例文では「うすうす」を使ってはどうでしょう。たとえばこんな感じです。
うすうす【うすうす・薄々】「そのことはうすうす知っている。」
こんなふうに実際の表記を反映した辞書は、一般の国語辞典にもまだ多くありません。実際の表記をどのように取り入れるかは、すべての辞書にとっての課題です。
もうひとつの注目点は、例文に適切な文を選んでいるかということです。「そのことは薄薄知っている」という『くもん』の例文は、この点で不満を残します。
辞書の例文は、語釈で表現しきれないニュアンスなどを示すものです。「うすうす」は、事情・実情・真相などをぼんやり知る場合に使います。例文をつけるなら、「事情はうすうす察していた」など、何を察するのかが分かるように書くべきです。
用法が不自然な例文も、学習辞典には散見されます。たとえば、『チャレンジ小学国語辞典』(ベネッセ)の「何くれとなく」の項には、次の例文が出ています。
〈おじさんは何くれとなく相談相手になってくれる。〉
「何くれとなく」は「あれこれと。いろいろと」という意味ですから、一見、これでもよさそうです。でも、ふつうは「何くれとなく世話を焼く(面倒を見る)」の形で使うものです(他辞書の例文は、おおむねそうです)。上の例文は、間違いとは言えないまでも、少なくとも不自然です。頭の中だけで例文を考えると、えてして、不自然なものが生まれます。例文は、実例に基づいて作ることを基本にすべきです。
学習辞典には、例文の中に、やたらに父母や兄弟が出てくるものがありますが、あまり感心しません。「妹が友だちとむつまじく遊んでいる」などとあると、「そんな言い方するだろうか?」と思います。こういうものも、頭で作り出した例文のようです。