日本語・教育・語彙

第6回 「美しい日本語」「正しい日本語」への疑問(1):日本語ブームの気持ち悪さ

筆者:
2016年3月11日

日本語ブームと言われた時期がある。大野晋『日本語練習帳』(1999年、岩波書店)、齋藤孝『声に出して読みたい日本語』(2001年、草思社)などがベストセラーになり、漢字検定の受験がブームになった時期である。(主催者のサイトによれば、2000年度に約158万人だった志願者が、わずか2年間で約204万人に増え、その後、2008年度の289万人まで増え続けていた。)このブームは規範的な日本語(いわゆる「正しい日本語」)や古典的教養の強調といった考え方を広めた。これらは例えば藤原正彦『国家の品格』(2005年、新潮社)、坂東真理子『女性の品格』(2007年、PHP研究所)などがベストセラーになったことにもつながっているように思われる。また、教育実践の面では暗誦や朗読を学校教育に広めることにもつながった。ブーム自体が続いているかどうかは定かではないが、基本的にこれらの考え方や実践がいまでもある程度広がっているとは言えるだろう。

一方、これらの考え方や実践に対しては、さまざまな批判も出てきた。特に一連の「日本語ナショナリズム」批判は、これらの問題を主に権威主義的、中央集権的、国家主義(ナショナリズム)的な言語観を広めるという観点から批判してきた(小森2003牲川2006田林2003など)。

実は私自身も上述の日本語ブームに対して、気持ち悪さを感じている一人である。「日本語教育を仕事にしています」というと、しばしば日本語を愛し、素朴に日本語や日本文化の素晴らしさを広める愛国者のように思われたりするのであるが、実は、私に限らず、多くの日本語教師はそのような言われ方にある種の落ち着かない気分を感じている。しかし、ただ、気持ち悪がっているだけではいけないと思うので、これから数回にわたって、その理由について説明し、日本語の規範(「正しい日本語」)に対する考え方や「日本語の美しさ」をめぐる言説の問題点を解き明かしてみたいと思う。

既存の日本語ナショナリズム批判には納得できる点が多く、大きく反対するところは少ない。ただ、そこでの議論は具体的に何が問題なのかをわかりやすく提示する力が欠けている。そこでここでは、留学生等に対する日本語教育を担当してきた経験から、できるだけ具体的な例を挙げ、わかりやすい表現で議論したいと思う。また、学術界のみで議論しても意味のない議論であるので、政策決定にかかわる人々を含む、専門でない人にも通じる議論を展開したい。引用もインターネットで読めるものを中心にしようと思う。実際の世論は読まれるところで作られていくと考えるからである。

初回なので、おおよその論点を思いつくままに挙げてみる。

第1に、「正しい日本語」についてであるが、私たち留学生教育担当者は、限られた語彙や文法表現でも、高いコミュニケーション能力を持つ学生がいること、また、その逆を知っている。それはなぜだろうか。一言でいえば「難しい日本語」をたくさん知っていれば日本語運用力やコミュニケーション力が上がるとは一概に言えないということである。「正しい日本語」や「美しい日本語」と考えられるような言葉を知らなくても人間性は伝わるものであるし、ことばの美しさには音の美しさと意味の美しさがあり、少なくとも後者は言葉そのものの中にあるというよりは、その言葉を使う人間や社会の中にある。

第2に、「暗誦教育の問題点」である。暗誦がすべて悪いわけではないが、暗誦をたくさんすれば日本語力がつくなどというのは、リアリティを欠いた幻想、妄想に近い。いちばんの問題は、「コミュニケーションには相手がいる」ということを忘れさせる実践が広まることの弊害である。

第3に、「日本語力衰退の処方箋」である。上述のブームの背景に日本語力の衰退という議論があることを取り上げ、その回復に必要な処方箋は決して名文の暗誦ではないということを論じたい。俗に言われる日本語力衰退には様々な側面があるが、一番問題なのはコミュニケーションの意欲が減退していることだと思われる。特に自分とは異質の人間と触れ合うことに臆病な若い世代が増えているようにも感じられる。この点を解決するには自尊感情を育てること、地域での場づくりなど、ことばの教育を超えた側面を持っていることを主張したい。

第4に「古典的教養とは何か」ということである。いかなる芸術作品も読み手や社会背景との関係によって解釈が成立する。それを無視してただただ暗誦すれば教養が身につくなどというのは幻想も甚だしいと思う次第である。

まだあるような気がするが、これらの点について、次回から順に述べていきたいと思う。

 

参考文献

小森陽一(2003)「日本語ブームとナショナリズム」『日本語教育』116, pp.1-4

牲川波都季(2006) 「戦後日本語教育史研究の課題―日本語ナショナリズムに関する文献レビューから」『横浜国立大学留学生センター教育研究論集』13, pp.31-51
https://ci.nii.ac.jp/els/contents110005998667.pdf?id=ART0008110192で閲覧可能)

田林 葉(2003) 「ジェンダー、地域、年齢などによる差異と 「正しい」日本語の規範」『政策科学』10(3), pp.97-112
http://www.ps.ritsumei.ac.jp/assoc/policy_science/103/103_08_tabayashi.pdf#search=’%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E+%E6%89%B9%E5%88%A4′で閲覧可能)

筆者プロフィール

松下 達彦 ( まつした・たつひこ)

東京大学グローバルコミュニケーション研究センター准教授。PhD
研究分野は応用言語学・日本語教育・グローバル教育。
第二言語としての日本語の語彙学習・語彙教育、語彙習得への母語の影響、言語教育プログラムの諸問題の研究とその応用、日本の国際化と多言語・多文化化にともなう諸問題について関心を持つ。
共著に『自律を目指すことばの学習―さくら先生のチュートリアル』(凡人社 2007)、『日本語学習・生活ハンドブック』(文化庁 2009)、共訳に『学習者オートノミー―日本語教育と外国語教育の未来のために』(ひつじ書房 2011)などがある。
URL:http://www17408ui.sakura.ne.jp/tatsum/
上記サイトでは、文章の語彙や漢字の頻度レベルを分析する「日本語テキスト語彙分析器 J-LEX」や、語彙や漢字の学習・教育に役立つ「日本語を読むための語彙データベース」「現代日本語文字データベース」「日本語学術共通語彙リスト」「日本語文芸語彙リスト」などを公開している。

『自律を目指すことばの学習―さくら先生のチュートリアル』

編集部から

第二言語としての日本語を学習・教育する方たちを支える松下達彦先生から、日本語教育全般のことや、語彙学習のこと、学習を支えるツール……などなど、様々にお書きいただきます。
公開は不定期の金曜日を予定しております。