国語辞典を買って帰り、背割れ防止などの、使い勝手をよくする作業はすみました。ところで、読者は、この辞書をどこに置きますか。
「どこに置こうが、私の自由でしょう」と言われれば、そのとおりです。でも、置き場所によって、国語辞典が活用されたり、されなかったりということがあります。
ワンルームに住む学生にとっては、どこに置くも何も、置く部屋は1つしかないのですから、問題になりません。勉強机の前か横の、0.5秒で手に取れる場所にスタンバイさせておくのが理想です。外箱は取っておきます。
問題になるのは、家族で国語辞典を共有する場合です。
さる家庭を訪問した時、国語辞典が、リビングのガラス戸棚に安置してありました。もちろん箱に入れて、うやうやしく祀ってあります。これはもったいないと思いました。
辞書は、戸棚なんかには入れないほうがいいのです。何か調べたいことばがあったとき、戸棚の前まで歩いて行って、扉を開け、辞書を手に取り、外箱を外し、ページを開くという動作を経なければならないのは、面倒くさすぎます。いきおい、「まあ、調べるのはやめておこう」となってしまいます。
「なるほど、ごもっとも」。その家の人はうなずきました。国語辞典を戸棚から出し、テレビの横に置きました。これなら、テレビや新聞で分からないことばがあったときも、すぐに調べられます。私は、自分のアドバイスに満足しました。
ところが、ずっと後に、ふたたびそのお宅を訪ねると、国語辞典は元の通りガラス戸棚に納まっていました。私は驚きましたが、もう黙っていました。
その家庭では、ことばを調べる必要性を感じることが、ふだんあまりないのでしょう。それならば、テレビの横に国語辞典があったって、じゃまなだけです。
でも、ことばに関心のある家庭に対しては、私は強くお勧めします。たとえ目障りであっても、国語辞典は、家族がすぐ手に取れる所に置くべきです。わが家でも、辞書はテレビの下の棚にいつも置いてあります。私は仕事がら当然として、妻も、分からないことばがあるたびに、その辞書に手を伸ばします。
疑問に思ったらすぐ調べる
誰しも、1日のうちに、いくつもの知らないことばに出会います。いくつもはないだろう、と思うかもしれませんが、意識していないだけです。それらのことばを、できるだけ気に留めて、調べてみるということは大事なことです。
夫婦で近所に出かけた時のことです。妻が文房具店の日よけを見上げて、ファンシーとは何か、と尋ねました。見ると、〈文具・事務用品・ファンシー・印章・印刷〉と書いてあります。ごく当たり前のことばで、ふつうなら見過ごしてしまうものです。
私には、とっさに返事ができませんでした。「ファンタジーみたいなもんだよ。ファンシーグッズとか言うでしょう」。これでは、答えになっていません。
家に帰って、主な国語辞典を引いてみました。「ファンシー」が載っていない辞書もけっこうありました。『新選国語辞典』の語釈が、私には最もしっくり来ました。
〈普通と変わっていて、デザインなどがしゃれているようす。「―なバッグ」〉
もっとも、この語釈は形容動詞としてのものです。店の日よけの「ファンシー」は、名詞として使ったのでしょうから、やや特殊な使い方かもしれません。
こんなことばは、疑問に思ったらすぐ調べなければ、やがて忘却のかなたに消えてしまいます。散歩中のことばだけでなく、放送や活字で目にすることばも同様です。たとえ目障りでも、手近に国語辞典を置いておくことが必要なゆえんです。
ここから一歩進んで、各部屋に専用の国語辞典を置いておくのも、決して非常識ではありません。寝室で本を読んでいて、分からないことばがあったとき、わざわざ別の部屋へ辞書を取りに行くのはおっくうなものです。書斎のほか、リビングと寝室あたりに辞書があれば、たいへん便利です。部屋ごとに種類の違う辞書を備えておけば、それぞれの特徴を知ることもできます。
疑問に思ったことをすぐ調べるためには、辞書が素早く引けることも必要です。英語学者の関山健治さんは、早引きのためには、アルファベット(国語辞典なら「あかさたな」)の相対的位置関係を頭に入れておくことが基本だと言います(三省堂辞書サイト 英語辞書攻略ガイド(2) 電子辞書より速く冊子辞書を引く方法)。あとは、ゲーム感覚で練習を積むことです。関山さんは〈使い慣れた冊子辞書は電子辞書よりもはるかに速く引ける〉と断言しています。