『日本国語大辞典』をよむ

第120回 いろいろな休み

筆者:
2024年7月28日

1881(明治14)年5月4日に文部省達第十二号として出された「小学校教則綱領(抄)」の第二章「学期、授業ノ日及時」の第七条に「小学校ニ於テハ日曜日、夏季冬季休業日及大祭日、祝日等ヲ除クノ外授業スヘキモノトス」と記されています。ここに「夏季休業」「冬季休業」と表現されているものが夏休み、冬休みの始まりだとすれば、夏休みや冬休みは明治時代にすでにあったことになります。『日本国語大辞典』は見出し「なつやすみ」の使用例として、1877(明治10)年7月22日の『朝野新聞』の例をあげています。

1913(大正2)年に出版されている斎藤茂吉の歌集『赤光』には「七月二十三日」という小題のもとに5首が並べられています。その最初には「めん雞(どり)ら砂あび居(ゐ)たれひつそりと剃刀研人(かみそりとぎ)は過ぎ行きにけり」というよく知られた作品が置かれていますが、その次に「夏休日(なつやすみ)われももらひて十日(とをか)まり汗をながしてなまけてゐたり」という作品が置かれています。「マリ」は「アマリ」ということですので、「十日まり」は〈10日あまり〉という意味です。「われももらひて」には学生ではない自分も、という含みが感じられます。そうだとすれば、この歌がつくられた頃には夏休みは一般化していたということになりますね。

『日本国語大辞典』は、見出し「ふゆやすみ」には徳富蘆花の『思出の記』(1900~1901)と川端康成の『伊豆の踊子』(1926)、「はるやすみ」には夏目漱石の『虞美人草』(1907)と中勘助の『銀の匙』(1913~1915)を使用例としてあげています。これらからすると、「ナツヤスミ」「フユヤスミ」「ハルヤスミ」という語は明治末から大正初期ぐらいには(ひろく)使われるようになってきていたと推測できそうです。

「ナツヤスミ」「フユヤスミ」は〈夏の休み〉〈冬の休み〉ということですので、「Xヤスミ」の「X」はその休みがいつの休みかという「いつ」を示していることになります。お盆の時の休みは「ボンヤスミ(盆休み)」ですね。しかし「Xヤスミ」のXはつねに「いつ」を示しているのではありません。

かいこやすみ【蚕休】〔名〕養蚕の盛んな地域で、その多忙期に学校が生徒に認めた休暇。*少年行〔1907〕〈中村星湖〉七「此頃自分等の学校には夏中休暇は無くて養蚕休暇(カヒコヤスミ)と云ふものがあった」

ようさんやすみ【養蚕休】〔名〕養蚕のもっとも多忙な時期に、学童が家事を手伝うために設けられた学校の休校日。かいこやすみ。*千曲川のスケッチ〔1912〕〈島崎藤村〉一・学生の家「君のやうに都会で学んで居る人は、養蚕休みなどといふことを知るまい」

こういう語があるということは、もちろんそうしたことが行なわれていた、ということなので、かつては今よりも多くの地域で養蚕が行なわれていたことを推測させます。ことばは行動の記録でもあることになります。

しけんやすみ【試験休】〔名〕期末試験などが終わった後の、学校が休みになる期間。*青春〔1905~06〕〈小栗風葉〉春・一〇「外には桃色の吸取紙を挿んだノオトブックが一冊、試験休で本らしい物も出して無い」*曠野〔1964〕〈庄野潤三〉一「東洋史の学生であった私は、試験休みを利用して二度目の満洲旅行に出かけたのであった」

たうえやすみ 【田植休】〔名〕(1)田植がすっかり終わった後の休息の期間。*俳諧・七番日記-文化七年〔1810〕八月「我庵も田植休の仲間哉」(2)農村で、田植が忙しい時期に、田植の手伝いのための学校などの休みをいう。

「シケンヤスミ」は試験期間中の休みではなく、試験が終わってからの休み、「タウエヤスミ」は田植えが終わってからの休みですが、『日本国語大辞典』は「タウエヤスミ」の(2)として田植えの期間の休みという使い方をあげています。そもそもは終わってからの休みだった田植え休みが次第に養蚕休みのように、繁忙期の休みになり、そうした「実態」の変化に合わせてことばの意味も変化したようにみえまます。

ずるやすみ【─休】〔名〕会社や学校などを、正当な理由がないのになまけて休むこと。*銀の匙〔1913~15〕〈中勘助〉前・四二「はやくさういってくれさへすればおさらひもしたし、ずる休みもしなかったのに。思へばみんなが怨めしい」*自由学校〔1950〕〈獅子文六〉五笑会の連中「現在、製薬会社の社員だが、時々、今日のように、ずる休みをする」

休むには休む理由があるはずですが、「ズルヤスミ」のように「正当な理由がないのになまけて休むこと」もあります。『日本国語大辞典』には「あめやすみ」という見出しがあって、「雨が降った日にとる休み。雨降り盆。雨祝(あまいわい)」と説明されています。今日は雨だから学校に行くのをやめようとか、仕事は休みにしようとか、言ってみたい人は多いのではないでしょうか。

庄野潤三の『ザボンの花』には次のようなくだりがあります。

矢牧は、そんな話をすると、まるで中学生の時の、もうすぐあの長い、楽しみの多い夏休みがやって来る時のような気がして来るのだ。

一学期の終りには、定期考査というのが待ちかまえていて、それが五日間くらいあるのだが、まるで永久に続くのではないかと思われるくらい果しなく長く感じられる。

そして最後の一日の試験の終りのベルが鳴りわたると、かがやかしい、キラキラする夏の休みが、もうまちがいなく自分のものになっているのだった。

どういう休みでも休みは楽しいものですね。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。