よど【淀・澱】【一】〔名〕(1)水が流れないでよどむこと。また、その所。よどみ。*万葉集〔8C後〕五・八六〇「松浦川七瀬の与騰(ヨド)はよどむともわれはよどまず君をし待たむ〈大伴旅人〉」(略)(2)物事が渋り滞ること。すらすらと進まないこと。よどみ。(略)【二】(淀)京都市伏見区の地名。淀川に沿う低湿地で、木津・桂・宇治の三川の合流点付近にある。古代から京都の外港をなす淀川水運の河港として繁栄。安土桃山時代に淀城築城、江戸時代は稲葉氏一〇万石の城下町。(略)
「ヨドム」は上の名詞に「ム」が下接して動詞化した語と思われる。「ヨド」はオノマトペ語基ではないのであろうが、例えばオノマトペ語基である「キシ」に「ム」を下接すると「キシム」という動詞になる。
『日本国語大辞典』があげている『万葉集』の例中に「ヨド」「ヨドム」いずれも使われており、古くから使われている語であることがわかる。「松浦川のあまたの瀬の淀みは淀んで流れなくても、私は滞ることなく一途にあなたをお待ちしましょう」といった歌意であろうが、ここでは恋の気持ちが逡巡することを「ヨドム」と表現している。
さて、〈水などが停滞する〉という語義をもつ「ヨド」を一方に置くと、【二】としてあげられている京都市伏見区の地名である「ヨド(淀)」あるいは上の三川の合流地点から下流を呼ぶ「ヨドガワ(淀川)」もそうしたことをふまえた地名であることがわかる。地名には語義、すなわち意味はないとみるのが一般的であるが、古くからある地名は、当然すでにあった語を組み合わせて作られているはずで、地名によっては、その語義=意味を考えることができる。そして、現在の地形を考え併せることによって、「なるほど!」と思うこともある。
古い地図をみながら散歩するというようなことがされているが、上のように地名をみることは、地名の中に(古い時期に使われていた)日本語を見つけ、その語義から地形を推測するということになる。
やち【谷地・谷・野地】〔名〕(1)湿地帯。低湿地。やと。やつ。(略)
やつ【谷】〔名〕たに。たにあいの地。特に鎌倉・下総(千葉県・茨城県)地方で用いる。やち。やと。(略)
やと【谷】〔名〕谷間。渓谷。やち。やつ。や。(略)
見出し「やち」の「語誌」欄には「(1)東北方言では、普通名詞として、湿地帯を意味する。関東地方の「やと」「やつ」は、現在では「たに」と同義か。しかし、「や」は「四谷」「渋谷」など、固有名詞を構成する形態素としては存在するが、普通名詞としては使われない。(2)アイヌ語に沼または泥を意味するヤチという語があるところから、地名に多く見られる「やち」「やと」「やつ」「や」がアイヌ語起源であるとの説(柳田国男)があった。しかし、北海道の地名にこれらの語が使用されていないところから、むしろアイヌ語のヤチの方が日本語からの借用語ではないかと考えられている」と記されている。
見出し「やつ」の語釈に鎌倉があげられている。筆者は鎌倉に生まれ育ったが、筆者の実家のあるあたりは、「瓜ヶ谷(うりがやつ)」と呼ばれていた。「扇ヶ谷(おおぎがやつ)」は現在も使われている地名である。そのそばには「亀ヶ谷(かめがやつ)」がある。鎌倉は南は海であるが、それ以外は山なので、「ヤツ/ヤト」と呼ばれるような場所に人が住んでいたのだろう。「瓜ヶ谷(うりがやつ)」は「ウリガヤ」といわれることもあった。これは行政上使われている地名ではないが、そのこともあってか、この「ウリガヤツ」の「ヤツ」が子供の頃に何か気になった。気になったというのは、変な感じがしたということだ。それこそ、単独では「ヤツ」という語が使われていないというようなことだろうか。何か方言的な印象をもっていた。
実家を離れて、横浜市金沢区で暮らすようになって、京浜急行の「能見台駅」が以前は「谷津坂(やつざか)駅」という名前だったことを知った。駅前の坂が「谷津坂」で、鎌倉以外にも「ヤツ」があることがわかった。おそらく「谷」という漢字一字で「ヤツ」という発音を書くのがむずかしいので、「ツ」を明示するために「谷津」と漢字をあてたのだろう。その時住んでいた住所は「釜利谷(かまりや)」で、こちらは「ヤ」だ。
わだ【曲】〔名〕(1)地形の入り曲がっているところ。入江などにいう。(2)形が曲がりくねっていること。
平安時代の末頃から鎌倉時代にかけて日宋貿易で栄えた「大輪田泊(おおわだのとまり)」という港が神戸のあたりにあったことを日本史で習う。この「わだ」は〈地形の入り曲がっているところ〉の呼び名であろう。
「ワダ」は『万葉集』に「オホワダ」「オホワダノハマ」という語形として2例みられるが、いずれも「オホワダ」は「大和太」と書かれている。語義からすれば、「曲」と結びつくことが考えられそうであるが、それが定着しないと、結局は「大輪田」のように、表音的に漢字をあてることになる。地名においては、現在使われている漢字はいうまでもないが、かつて使われていた漢字も、語義をそのままあらわしているとは限らないという点には注意する必要がある。「輪田」だから、輪のような形をした田んぼだろうと、単線的に考えないようにしないといけない。考えを進めるきちんとした「筋道」をおさえれば、地名で遊ぶこともできる。