『日本国語大辞典』をよむ

第39回 ほぼほぼ・よやよや

筆者:
2018年7月29日

「ホボホボ」という語を聞いたことがあるだろうか。三省堂から出版されている『新明解国語辞典』の編集委員である倉持保男氏、『三省堂国語辞典』の編集委員である飯間浩明氏、『三省堂現代新国語辞典』の編集委員である小野正弘氏が、「辞書を編む人が選ぶ今年の新語2016」において選んだのがこの「ホボホボ」という語である。 2016年の10月28日に、共同通信編集局文化部の八木良憲氏から、取材を受けた時に、この「ホボホボ」が話題となった。筆者の勤務している大学の研究室で取材を受けたので、ちょうどその時に指導していた大学院生2人の「感覚」も話してもらい、その時のことが後に新聞記事となった。1999年に使われていたことがブログの記事で確認できるということも指摘されており、そうだとすると、もうだいぶ前から使われている語ということになる。筆者は、おそらく4、5年前、当時指導していた大学院生が使ったのを耳にしたのが最初だ。

「ホボホボ」は改めていうまでもなく、「ホボ」を重ねたもので、そのことからすれば、変なことは少しもない。「ソモ」が重なって「ソモソモ」、「マタ」が重なって「マタマタ」というように、同じような語構成をしている語は少なくない。ちなみにいえば、『日本国語大辞典』は「ホボホボ」を見出しとしていない。

なぜ「ホボホボ」を話題にしたかといえば、『日本国語大辞典』をよんでいて、「ヨヤヨヤ」という見出しにであい、「ホボホボ」のことを思ったからだ。さて、「ヨヤヨヤ」については、次のように記されている。

よやよや〔感動〕強く人に呼びかけるのに用いることば。*徒然草〔1331頃〕八九「小川へ転び入りて、助けよや、猫また、よやよやと叫けべば」*随筆・西遊記〔1795〕三「彼舟よりよやよやと呼起せば、こはごは答へて」

『徒然草』第89段は、高等学校で習った記憶がある。自身の飼い犬を「猫また」という怪物と勘違いして大騒ぎをした連歌師の話である。藤原定家は自身の日記である『明月記』の天福元(1233)年8月2日の条に、「南部」(=奈良)に「猫胯」が現われて人を食い殺したということ、「猫胯」は「目如猫、其体如犬長」(目は猫の如く、其の体は犬の如く長し)であったことを記している。

夜ふけまで連歌をして帰ってきた連歌師は「猫また」に飛びつかれて、腰が抜けてしまって小河へ転び入って、「助けよや。猫またよや/\」と叫ぶ。室町時代の歌人である正徹(1381~1459)が書写したと考えられている「正徹本」と呼ばれるテキストでは上の箇所が「たすけよやねこまたよや/\」と書かれている。また、烏丸光弘(1579~1638)が句読清濁などについて校訂を施して出版したと考えられている「烏丸本」と呼ばれるテキストでは「ねこまた。よや/\」となっている。烏丸本の句読に従えば、この箇所は、「ねこまた。よやよや」とみるしかなく、『日本国語大辞典』が掲げている例文もそのような理解に基づくものと思われる。烏丸本と同様の「かたち」を採るテキストは他にもある。

酒井憲二は「猫またよや/\考」というタイトルの文章を『リポート笠間』第21号(1980年)に載せ、「ねこまたよや、ねこまたよや」と理解するべきことを述べた。正徹本の「猫またよや/\」の「/\」が「猫またよや」全体に対しての繰り返し符号だという主張である。「ヨヤ」は終助詞「ヨ」と終助詞「ヤ」とがつながったものとみる他なく、だとすれば、現代日本語の「ダゾ」あるいは「ダヨ」にあたる。となると、「ヨヤヨヤ」は「ダゾダゾ」「ダヨダヨ」ということになって、おかしい。つまり、「ヨヤヨヤ」は「/\」の誤った理解がうみだした語形である可能性がたかい。しかしまた『日本国語大辞典』は18世紀の使用例をあげている。そのことからすると、誤った理解がうみだした語形が実際に使われたということにもみえる。このあたりはさらに追究する余地がありそうだ。

「/\」は「二文字の繰り返し」ではなく、「二文字以上の繰り返し」を示す符号であるはずで、そのように「二文字以上の繰り返し」に使われた例は大げさにいえばいくらでもある。そしてそれは明治期まで続いている。

大学の授業で、学生たちと明治期に出版された雑誌を読んでいるが、最近の例でいえば、『太陽』第15巻第8号(明治42年6月1日号)に載せられている、正宗白鳥の「碁敵」には「この方(かた)が入(いら)つしやらないと、淋(さび)しくつて/\仕様(しやう)がないんですから、どうか貴下(あなた)がその代(かは)りにせつせと入(いら)しつて下(くだ)さいましな。」(92ページ下段)がある。「淋しくつて/\仕様がないんですから」は「淋しくって淋しくって」を書いたものとみるのが自然だ。

授業は担当を決めて、学生に音読してもらうところから始めるが、上の箇所を音読する時に、担当した学生は少し躊躇したような感じだった。「淋しくってくって」はおかしいとわかってはいるものの、「淋しくって」からの繰り返しとみてよいかどうか、というほんの少しの躊躇だったのだろう。しかし、ちゃんとそのように読んだ。

文献を正確に読み解くことは難しい。いろいろなことがらに「目配り」をする必要がある。『日本国語大辞典』をよむと、いろいろなことに気づき、いろいろなことを考える。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。