『日本国語大辞典』をよむ

第40回 落第坊主のラグタイム

筆者:
2018年8月12日

らくだいぼうず【落第坊主】〔名〕落第した子どもをあざけったり親しみをこめたりしていう語。

ラグタイム〔名〕({アメリカ}ragtime)《ラッグタイム》一九世紀末アメリカ合衆国に生まれた、固有のシンコペーションをもつピアノ用の曲、およびそのピアノスタイル。本来、譜面通りに演奏されたが、初期のジャズに影響を与えた。

「落第坊主のラグタイム」???と思われた方が多いだろうが、この2つの語は『日本国語大辞典』で、並んで見出しとなっている。ちなみにいえば、「ラグタイム」の次の見出しは「らくだいも【駱駝芋】〔名〕ナガイモの栽培品種。根が円柱状で長いもの。いちねんいも。えどいも」である。

現在では電子辞書あるいは、インターネット上の辞書などが盛んに使われるようになっている。それに伴って「紙の辞書」という表現もある。「紙の辞書」にCD-ROMが附録されていることもあれば、「紙の辞書」を購入すると、インターネット上の辞書を使える、というようなこともある。電子化されている辞書がいいか、「紙の辞書」がいいか、という話題になった時に、必ずといってよいほどいわれることが、「紙の辞書」の場合は、調べようとしている語のまわりの語にも自然に目がいく、ということだ。自分が調べた語の隣りの見出しをなにげなくみる、ということだろう。そういうこともあるだろうとは思うけれども、そもそも電子化されている辞書と「紙の辞書」とは「仕様」がまったく異なるのだから、それぞれの長所をいかすように使えばいいのではないかと思う。

さて、近代的な言語学の祖などといわれることがあるソシュールという人物がいる。『日本国語大辞典』でも見出しになっている。

ソシュール 〔一〕(Ferdinand de Saussure フェルディナン=ド―)スイスの言語学者。印欧祖語の母音組織を究明、また、歴史主義的言語学に対して、一般言語学の方法を提唱。記号学としての言語学の確立をめざした。著「一般言語学講義」は弟子たちが講義ノートを編纂したもの。(一八五七~一九一三)(略)

言語学を学んだ人で、ソシュールの名前を知らない人はいないだろう。『一般言語学講義(Cours de linguistique)』は1916年に初版が、1926年には再版が出版されているが、日本では1928年に小林英夫によって翻訳が出版されている。これは、ドイツ語版の1931年、ロシア語版の1933年、英語版の1959年にさきがけている。 

ソシュールの提示した概念は現代の言語学でも使われている。筆者は、ソシュールが提示した「(連辞関係/)連合関係」という概念にずっと興味をもってきている。ここで詳しく説明することはできないので、簡単に述べるとすれば、「連合関係」は語と語とが何らかの結びつきをもって存在しているという「みかた」だ。「何らかの」は語義上の、でもよいし、発音上の、でもよい。「発音上の結びつき」はごく粗くいえば、発音が似ている語同士は、思い浮かべやすい、というようなことといってもよいだろう。

「ラクダイボウズ」と「ラグタイム」とは、そういう意味合いにおいては、重なっている発音は「ラ」のみであるが、清濁を問わなければ「ラクダイ」と「ラグタイ」とが重なっていることになる。「落第坊主のラグタイム」はできのよくないだじゃれのようなものになってしまっているが、いえば、「ラクダイボウズ」と「ラグタイム」とは発音上「連合関係」を形成しているということになる。「ノウミソ」「ノウミツ」「ノウミン」という見出しが並んでいるので、「脳味噌が濃密な農民」。「バイキング」「ハイキングコース」が並んでいるので、「バイキングが歩いたハイキングコース」などと、意味不明の句を作ってみるのもおもしろいかもしれない。

谷川俊太郎の『ことばあそびうた』(福音館書店、1973年)には「カッパ」と「カッパラッタ」とを結びつけたり、「レ」で終わる語を集めて作られている「たそがれ」という作品などが収められていて楽しい。「レ」で終わる語にはどんな語があるか、ということを調べるためには、「逆引き辞典」を調べればよい。「逆引き辞典」は幾つか出版されている。中には古語の「逆引き辞典」もある。筆者は、大学院生の頃に、古い文献を読む時に、ここの三字は、下二字が読めているのに、第一字目がよくわからない、というような時に、この古語の「逆引き辞典」を調べて、第一字目の可能性を探ったりしていた。

現代においては、一般的な辞書は、見出しを五十音順に配列している。「逆引き辞典」では、例えば、「ク」で終わる語が集められ、それが語尾からの五十音順で並べられているので、「ストイック」「まといつく」「グラフィック」「おもいつく」「くらいつく」「ふるいつく」「ヒロイック」という順で見出しが並ぶ。

言語はコミュニケーションのためにある。あるいは言語はコミュニケーションの道具であるというような言説をよくみかける。そのとおりであると思うが、しかしまた、それだけではない、とも思う。ヒトという動物は、言語をコミュニケーションに使うだけでは満足しなかった。言語を使って、歌をつくり、俳句をつくり、しゃれを言って楽しんだ。「ことば遊び」はあらゆる言語にあるだろう。辞書をよむ、ということも、ことばと遊ぶ第一歩かもしれない。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。