『日本国語大辞典』をよむ

第55回 愛車とマイカー

筆者:
2019年3月10日

あいしゃ【愛車】〔名〕自分が大事にしている自動車や自転車。マイカー。*虚実〔1968~69〕〈中村光夫〉大の虫「政彌が旧型のトヨペットの愛車にのって、勝造と尚一を築港見物に誘ひに来た」

マイカー〔名〕({洋語}my car)自家用車。*私的生活〔1968〕〈後藤明生〉三「二、三メートルの間隔で行儀よくマイカーが並んでいる」*変痴気論〔1971〕〈山本夏彦〉乗車拒否「マイカーで通勤する女給がいるという」語誌 昭和三一年(一九五六)、「愛知トヨタ」というPR雑誌の編集をしていた浜口治男が乗用車拡販の標語として考案したもの。同三六年一二月に立命館大学教授星野芳郎が「マイ・カー」を著してベストセラーとなり、その頃から一般化した。

昭和36年は西暦1961年だ。『朝日新聞』の記事を検索してみると、1963(昭和38)年1月12日の記事に「団地マイカー族」という見出しがみられる。『日本国語大辞典』は使用例として、後藤明生の「私的生活〔1968〕」をまず示しているが、探せば、もう少し早い使用例が見つかりそうだ。

あいしゃ【愛社】〔名〕自分の属する会社に愛着をもち、尽くすこと。「愛社精神」

あいしゅ【愛主】〔名〕大切に思っている主君、主人。*経国美談〔1883~84〕〈矢野龍渓〉前・三「年久しく給事せし愛主の不幸に」

あいじゅ【愛樹】〔名〕気に入ってよく世話をしている木。*人情本・貞操婦女八賢誌〔1834~48頃〕初・五回「梢の中に青梅の、枝たはむまで実を結ぶ、是れさへ母の愛樹(アイジュ)ぞと」*落語・春雨茶屋〔1898〕〈四代目橘家円蔵〉「其清涼殿の前(まい)に御愛樹(アイジュ)の梅の木が有った」

あいしょ【愛書】〔名〕(1)本が好きであること。また、本をだいじにすること。「愛書家」*読書放浪〔1933〕〈内田魯庵〉東西愛書趣味の比較・一〇「且日本人の愛書の趣味は茶人的で、秘めて独りで楽むのであって西洋のやうに開放的で無い」(2)好きな本。たいせつにしている本。

あいじょう【愛嬢】〔名〕親がかわいがっている娘。ふつう他人の娘についていう。まなむすめ。*帰省〔1890〕〈宮崎湖処子〉一「吾隣村旧家の愛嬢ならんとは、渠が名のるに由りて知られぬ」*指輪の罰〔1902〕〈国木田独歩〉二「母なる人は三十四五の品よき婦人なるが、愛嬢(アイヂャウ)浪子と共に縁辺(えんがは)に出でて」

あいしょく【愛食】〔名〕好きな食物。*日葡辞書〔1603~04〕「Aixocu (アイショク)〈訳〉ある者が好む食物」

「愛~」というさまざまな語がある。見出し「あいしょ【愛書】」の語義(1)に記されているように、「愛X」は〈Xを好きである(こと)〉という語義をもつことがまず考えられる。そしてまた「愛X」は見出し「あいしゅ【愛主】」の語義のように〈大切に思っているX〉という語義をもつこともある。上にあげた見出しでは、この〈大切に思っているX〉つまり〈愛しているX〉という語義をもつ「愛~」が少なくないことがわかる。「アイシャ(愛車)」という語もそうで、〈車を愛する(こと)〉ではなくて〈愛している=大事にしている車〉という語義である。ここまで長々と述べてきたが、気になったのは、「アイシャ(愛車)」は「マイカー」と同義なのか、ということだ。小型の国語辞書を参照してみよう。『三省堂国語辞典』第七版は「マイ―」と「マイカー」とを次のように説明している。

マイ―(造語)〔my〕①わたしの。自分の。「―ウェー〔=わが道〕・―ホーム」②自分専用の。わたしだけの。「―カップ・―バッグ〔=レジ袋(ブクロ)をもらわなくてもすむように、買い物に持って行くバッグ〕・―ブーム〔=個人的に今、むちゅうになっていること〕」

マイカー(名)〔和製 my car〕自家用の乗用車。自分の車。「―通勤・―族」

『日本国語大辞典』の見出し「マイカー」にも「自家用車」とあるだけで、改めていうまでもないが、「マイ~」に〈大切に思っている〉〈愛している〉という語義はない。もちろん自分の車だから常識的には大事にするだろうが、泥だらけの「マイカー」に乗っている人だっているだろう。

現時点での「語感」では「アイシャ(愛車)」と「マイカー」とは同義語にならない。そこで気になるのは、『日本国語大辞典』の「アイシャ(愛車)」の語義が書かれたのはいつ頃で、どのような「心性」がそれを書かせたか、ということだ。1972(昭和47)年から1976年にかけて出版された『日本国語大辞典』の初版には次のようにある。

あいしゃ【愛車】〘名〙自分の自動車を大事にすること。また、その車。マイカー。

マイカー〘名〙(洋語 my car)自家用車。

やはり見出し「あいしゃ【愛車】」の語釈末尾に「マイカー」とある。ここで筆者の「追究」はいったんとぎれてしまう。もしかしたら何気なく置かれた同義語、類義語だったのかもしれない。いろいろな疑問が一気に解決するというものでもないので、これは「?」としてしばらく抱えていこうと思う。

語Aのある時点の語義と、そこから百年経った時点での語義とがかなり違っていれば、いわば誰でも気づく。しかし、この五十年間あるいは三十年間で少し変わってきた語義、は気をつけないと気づかない。こういう短い時間幅での語義変化も注目する必要がある。内省が効く期間における語義変化の観察は、内省が効かない期間の考察にいきる可能性があるだろう。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。