あきさす【X・Y】〔自サ四〕物を買うとき、手付け金を渡す。前金を出す。*新撰字鏡〔898~901頃〕「X〈徒感反、去、買物逆付銭也、市買先曰Y、阿支佐須〉」*和訓栞〔1777~1862〕「あきさす〈略〉今さきがねといひ入銀といふが如し」(略)
『日本国語大辞典』の見出し「あきさす」を上に示した。使用例として『新撰字鏡』と谷川士清『和訓栞』とがあげられている。「辞書」欄にも、「表記」欄にも『新撰字鏡』しかあげられていない。「X」は「貝×覃」、「Y」は「貝×僉」で、ともにユニコードは与えられているが、電子的に安定して扱える漢字であるとはいいにくいだろう。つまり、現時点でも、そしてこれからも「消えてしまいそう」感がある。
X、Yは『康熙字典』には載せられているし、『大漢和辞典』にも載せられている。しかし、例えば、小型の漢和辞書である『角川新字源』(2017年)では、Xは見出しとなっているが、Yはなっていない。それはXとYとを「同じ」とみなして、1つを見出しとしたという「判断」であるかもしれないが、とにかくYは見出しになっていない。
大きな規模の辞書は、よく使われている語、よく使われている漢字を見出しにしようということを編集の際にあまり考える必要がない。紙幅にあまり制限がないと「よく使われている」ものに絞って見出しにする、という発想にならないことが予想される。むしろ、制限がない紙幅をいかして、(使用頻度を度外視して)なるべく多くの見出しをたてようとするだろう。「紙幅に制限がない辞書」の究極のかたちがインターネット上に構築される辞書といってよいだろう。そうなると、ある語、ある漢字の使用状況を考えるためには、むしろ見出しが絞られている小型の辞書を観察したほうがいいことになる。
上の引用でわかるように、『新撰字鏡』は9世紀の末から10世紀の初め頃にかけて編まれたと考えられている、漢字を見出しとした辞書だ。そしてその見出しとなっている漢字の語釈の一部として、和訓が配置されることがある。X字に「アキサス」という和訓が配置されていたというのが上の記事だ。
『日本国語大辞典』は「和玉篇」という、中世期に成った漢和辞書を参照し、その結果を「辞書」欄に示している。先に述べたように、「辞書」欄には「(新撰)字鏡」しかあげられていないので、「和玉篇」には「アキサス」という和訓をもつ漢字は載せられていないことになる。「和玉篇」といっても、写本が30ちかくは存在するので、そのすべて、どの「和玉篇」もそうであるかどうかは、1つ1つにあたる必要がもちろんあるが、とにかく、『日本国語大辞典』があたった「和玉篇」には和訓「アキサス」がない。
そればかりか、観智院本『類聚名義抄』にも「アキサス」という和訓が附された漢字が載せられていないことになる。仏下本十丁表1行目にX字、同十一丁表2行目にY字が載せられているが、いずれにも和訓が配されていない。Y字には音しか示されていない。つまり、Y字は観智院本『類聚名義抄』が編まれた時点で、きわめて「情報」が乏しい字であったことになる。
漢字、すなわちその漢字があらわしている中国語は、和訓すなわち和語と結びつくことによって、日本語の中に安定した位置を占めるようになる。和訓すなわち和語と結びつきを形成できない漢字は日本語の中に安定した位置を占めにくい。少し比喩的に、かつ強めの表現を使えば、日本語の中で生きていくことができない。この場合の和訓=和語は、漢字=その漢字があらわしている中国語を「翻訳」しているようなものだ。
その一方で、「アキサス」のようにはやい時期にうまれている和語は、漢字と結びつくことによって、いわば漢字ごと後世に伝えられていきやすい。この場合は漢字が和語の「よりどころ」のようなものだ。
したがって、X・Yが和語「アキサス」といったん結びついても、X・Yが後世に伝えられていかなければ、「アキサス」も後世に伝えられていきにくい。ただし、「アキサス」が「はなしことば」であれば、ことさらに漢字と結びつかなくても、後世に伝えられる。あるいは「書きことば」として頻繁に使われるような語であれば、「書きことば」として伝えられていく。「アキサス」という語の使用例が『新撰字鏡』と『和訓栞』のみであることからすれば、どちらでもなさそうに思われる。その「どちらでもない」は俗語的な「はなしことば」だったのか、とか、臨時的に作られた語だったのか、とか、またさまざまな推測、憶測、妄想を引き起こすが、それはそれとしておく。
では、谷川士清が『和訓栞』の中で「あきさす」を採りあげているのはなぜか。『新撰字鏡』は江戸時代になってみつかった辞書で、谷川士清はそれを欣喜雀躍として(かどうかはわからないが)使った。そのために、『新撰字鏡』の次に突如として『和訓栞』が使用例として示されることになる。こういうこともおもしろい。