先日、フィンランドに立ち寄り、久しぶりにその教育現場に出る機会があった。そのついでというのも妙ではあるが、今後3回くらいにわたってフィンランド教育について論じることにしたい。今回はフィンランドの子どもが誕生してから高校を卒業するまでの流れについて、基本的な情報を共有することにしよう。
フィンランド人は誕生時に母語を決定する。フィンランドにはフィンランド語とスウェーデン語という二つの公用語があり、どちらを母語にするかを決定するのである。もちろん生まれたばかりの本人が決めることはできないから、両親が決定することになる。そして、たとえばフィンランド語を母語にすると決定したら、幼稚園から高校まではフィンランド語で教育を受けることになる。大学教育には原則として母語による区別はないが、一校だけスウェーデン語で教育を行う大学が存在する。
フィンランド語とスウェーデン語というと似たような言語だと思うかもしれないが、実際には日本語と英語と同じくらいに違う。フィンランドの子どもたちは7年生の時に、もう一方の公用語を「必修外国語」として学ぶのである。
就学年齢は7歳。義務教育は9年間で、かつては小学校と中学校に分かれていたのだが、現在では一貫教育ということになっている。ただ、現在でも一部の新設校を除いては、小学校と中学校は校舎が別なので、実態としては昔とあまり変わらない。カリキュラムも9年一貫になったのだが、現時点ではまだ教科書も小学校用と中学校用が別シリーズのままで、これまた昔とあまり変わらない。9年一貫教育への移行期ということなのだろう。
フィンランドでは、少なくとも初等教育段階では塾も参考書も存在しない。そのため、もっと勉強したい子どもにとっても、落ちこぼれそうな子どもにとっても、学校の供給する補修授業や補充教材が重要になる。フィンランドの保護者にとって学校の補習授業は、日本の保護者にとっての塾のようなものなので、堂々と「ウチの子に補習を受けさせてくれ」と要求する。違うのは、日本の塾は有料だが、フィンランドの補習授業は無料だということ。フィンランドでは小学校から大学に至るまで教育は無料なのである。
教育が無料というと良いことのような気がするが、良いことばかりでもない。補習授業にせよ補充教材にせよ、学校の予算を超えて供給することはできないからだ。このところフィンランド経済は悪化の一途をたどっており、物価が上がり続ける一方で、教育予算は減り続ける一方である。教育のみならず、なんでもかんでも無料の怖いところは、経済の悪化が質の低下に直結しているところだ。
義務教育を修了すると、高校か職業学校に進むことになる。高校に進学するといっても、ほとんどの高校に入学試験はない。義務教育段階における全教科(体育や芸術科目は除く)の平均成績の高低により、そもそも高校に進学できるのかどうか、進学できるとしたらどのレベルの高校に進学できるのかが決まるのである。このシステムは、コツコツ真面目に勉強するタイプには向いているが、一夜漬けで一発逆転を狙うタイプには向いていない。フィンランドでは俗に「女子向きのシステム」と呼ばれている。
高校は単位制をとっており、2年以上4年以内に全単位を取得する必要がある。まるで日本の大学のようなシステムだが、これはフィンランドにおける「高校」の位置づけが、日本における大学の教養課程と同じであることによるものだ。そのため、義務教育で習うことのレベルと、高校で習うことのレベルのギャップが激しい。近年、フィンランドでは高校進学率が上昇しているが、それと同時に落ちこぼれる高校生の数も急増している。全単位を取得したら卒業資格認定試験を受けなければならないのだが、その合格率もまた下降傾向にある。これは教育当局にとっては頭の痛い問題のようで、今回お会いした教育当局者の中には「現在の高校進学率は高すぎる。地域によっては70~80%も高校に進んでいるが、どこであろうと50%くらいが適性値だろう」と言う人もいた。国民の高学歴化が必ずしも好ましくないというのだから、なかなかに興味深い発言である。
高校や職業学校を修了すると、男子の多くは兵役につく(女子は志願制)。期間は半年間。60歳までに兵役の義務を果たせばよいのだが、大変に厳しい訓練なので早々に済ませたほうが得策なのである。高校まで伸び伸びとした教育を受けてきたフィンランドの子どもたちが、いきなり頭ごなしの教育を受けることになるので、なかなか強烈な通過儀礼といえよう。ただ、これもまたフィンランドの「教育」の一面なのである。