明解PISA大事典

第40回 PISA型読解力への疑義あるいは異論2 PISA型読解力――そんな力、本当に必要なの?

筆者:
2010年7月16日

このところ2回連続して、作家の石田衣良さんとシンポジウムでご一緒する機会があった(1)。いずれも読書振興に関するシンポジウムである。みんなすっかり忘れているが、あるいはまったくご存じないが、今年は国民読書年(2)。読書活動を推進するような講演会やシンポジウムが、あちこちで(しかし細々と――なにしろ関連の基金が事業仕分けされてしまったのだ!)開かれているのである。

石田さんとのシンポジウムはエキサイティングである。読書振興が目的の会のはずなのに、「本を読んで、いったい何の役に立つんでしょうねえ」とか、「本ばかり読んでる、気持ち悪い人もいますよねえ」とか、「読み聞かせなんて、ボクは絶対にやりません」などと、実に凄まじいことを言うのである。そこに、いとうせいこうさんや私が加わって、ぐちゃぐちゃの議論というか放談を繰り広げるものだから、読書振興を目指している真面目な主催者にしてみれば、傍で見ていて気が気でなかったことだろう。

1回目のシンポジウムでは私が基調講演し、2回目のシンポジウムでは石田さんが基調講演した。私の基調講演は、例によってPISA型読解力に関するものである。ただ、最近では「PISA型読解力」という言葉はあまり使われず、「言語力」という、さらに定義の曖昧な言葉が使われるようになっている(しかし『言語力』といったほうが、『PISA型読解力』というよりも分かりやすい感じがするのだから不思議だ)。

私の基調講演のあとのシンポジウムで、なんとなく「PISA型読解力は必要だ」という感じで話が流れていた時のこと、いきなり石田さんが「そんな力、本当に必要なんですかねえ」と言い出した。

もちろん、何の理由もなく言っているのではない。

これまでにも述べてきたことであるが、PISAとは多様化・複雑化・グローバル化した世界を背景に、グローバル労働市場において人材に求められる能力を測るテストである。確かに、現代が多様性の時代であることは認めざるをえない。だが、日本人の強みは多様性の強みではなく、むしろ画一性の強みなのではないか。多様化する世界において、多様性を活かせる人材が必要なのは認めるが、別に日本人がそれに合わせる必要はないのではないか。ほかのアジアの国々のように上り調子で、これから世界で勝負しようというのなら話は分かる。だが、日本は下り調子で、しかも上り調子に転じる見込みもないのだから、無理しなくてもいいのではないか。

そういえば、石田さんの基調講演には「坂の下の湖」というタイトルが付けられていた。いま日本人は「坂の上の雲」(3)を目指すのではなく「坂の下の湖」を目指すべきなのではないか。いま必要なのは「攻め」の姿勢よりも、むしろ「守り」の姿勢。PISA型読解力は「守り」においても有効かもしれないが、その習得を目指すことで失われるものはないか? 失われるもののほうが大きいのではないか? だいたい、本を読むのに、目に見える根拠だけをチマチマ拾って、それだけを手がかりに益体もない議論をするなんて気持ち悪い――。

「なるほどねえ」と、私も受けてしまったものだから、それからはスローな読書、耽美的な読書をテーマに、ゆるやかな話が続いた。人生において下降線を辿っている人間にとって、読書が格好の「避難所」になることについて。まさに「守り」の姿勢だ。

読書振興を図るためのシンポジウムであるにもかかわらず、読書について前向きの議論にならないものだから、さすがに気が引けたのか、石田さんが最後に付け加えた。

「本を読むと、モテますよ」

本当か?

* * *

(1) ひとつは「子どもの読書活動推進フォーラム」(4月23日・於国立オリンピック記念青少年総合センター)、もうひとつは「近畿大学国民読書年フォーラム」(5月29日・於近畿大学)。

(2) 平成20年6月6日、衆参両院において、平成22年を「国民読書年」とすることが決議された。決議の内容については、以下のサイトを参照。
//www.mojikatsuji.or.jp/link_5dokushonen2010.html

(3) 言わずと知れた司馬遼太郎の名著(文春文庫・1999など)。欧米という「一筋の雲」を目指して、日本が「坂」を一生懸命に登っていたころのお話。

筆者プロフィール

北川 達夫 ( きたがわ・たつお)

教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

編集部から

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国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」金曜日に掲載しています。